毎年、この季節になると、<籠城するなら野草を食え>という記事をUPする。
あんまり、私的なことを書いても仕方が無いとは思うのだが、思えば、不思議な一生だった。
元職が、大学を出て、就いたときから、嫌で、嫌でたまらなくて、51歳で早期退職。しかし、思った以上に、金の目減りが激しくて、退職した年の9月には、元上司から、来てくれと言われたので、パートだが、またしても結局。元職に復職。
以降。私の職業としては、珍しい、フリーランスとして、フルを4年。パートを6年くらいしたんだろうか?
今年の3月。63歳まで、結局、元職の関係のパートをしていた。
昨年から、厚生年金部分の支給が始まったので、65歳のフル年金生活まで、基本籠城・時々出稼ぎ的な生活を続けてきた。
こう書くと、すごく貧しい感じがするだろうが、それほど、貧しい生活を送っているわけではない。
むしろ、野草を食い。節約し、籠城する生活が生き甲斐とも言える。早い話が楽しいのだ。
ノビルを食うのも遊びである。遊びだから楽しいのだ。しかも、うまい。
これが、本当に困窮していて、ノビルを食っていたら、気持ちはまた違うののだろうが、遊びだから、深刻さはない。
若い頃、金よりも時間が欲しかった。時間のために使う金を惜しいと思わなかった。
博多や小倉あたりのフレンチ・イタ飯屋・バー・ディスコ・ケントス・キャバクラ・ロシアンバーからブラジリアンバーでも、散財した。
我が人生に悔い無し。
金持ちでもないが、困窮しているわけでもない。そんな俺が、野草を食って、節約遊びを楽しんでいる。これが、俺的には究極の贅沢かなと感じている。
拳法の指導も、出来て、後、10年だろう。その時は、74歳。
そこから生きても、10年。84歳まで生きたらたいしたものだと思うが、そこまでは、無理だろう。
己の人生は己で飾る。精気あふれる野草を食いながら、そんなことを考えている。