日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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500gの悪夢。福光雲母41歳になる前2週間の物語。1999年3月。


古術:魂捨猪振るの道

 

 https://www.youtube.com/watch?v=yype4iKx-Xs&t=18s

私が、現役を引退したのは、41歳になる2週間前。場所は、アクシオン福岡のメインアリーナ。アマキックのトーナメントのリングの上。これが、競技生活の最後となった。

予定では、もう一度、防具の総合だけは、出る予定にしていたが、41歳の時、右アキレスを断裂。それっきり、競技からは遠ざかった。

さて、その最後の試合だが、前年5月。リングに初参戦して、あまりにも、ぼこぼこにやられたので、どうしても、もう一度リングに上がって、勝てないまでも、様になる試合をしたいと思って、密かに狙っていた。真武館の全日本が終わると、半年ほどだが、キックジムにも通い、翌年春の、アマキックに向けて、完全に集中することとなった。

ところが、62Kのつもりで、調整していたら、大会の案内が届くと、何とこれが、61Kマイナス級?
なんでやのち思いながらも、まあ、1Kくらいは、何とかなるやろうと簡単に考えたのが、またしても運の尽き。

普段から、当時は試合に備えて、62K台をキープしていたので、61.5までは、すぐに落ちたのだが、そこから先が全く落ちない。

アルコールはもちろんのこと、肉類もやめ、タンパク質は豆腐・納豆で済ませながらも、どうしても後500が落ちない。週2回の自分の拳法の道場の指導とキックジムでの、練習。それに、仕事もハードだったし。肌は乾燥してかさかさ。全く食べないと稽古もできないしで、最後はノイローゼになりそうだった。

夜中に、急に目が覚めて、ソーセージをむさぼり食って、朝体重計に乗って後悔したりを繰り返していた。そのため、冷蔵庫に一度はガムテープをしたこともある。

キャベツのゆがいたのを酢で食べるだけの日とか。

試合が近づくにつれて、これは、マジヤバかと思った。計量で落とされるというのは、指導員としては大恥だから、何とかそれだけは、避けたいと思いながら、最後は、水を飲まないしか方法が無かったので、
おかげで、血中濃度が上がって、健康面から考えると良くなかった。

しかし、マンガとかで、よくボクサーの減量シーンを見て憧れていたが、実際味わうといかに、地獄かも思い知らされた。二度としたいとは思わないですね。

取りあえず、何とか、前日から水分を取らずに、何とか計量をクリアーすることができた。計量後も急に水を飲んで腹をやられて吐いたら恥だから、吐かない程度に飲んだが、試合より、こっちの方がありがたい感じで、試合前に既に涙がにじんいた。

試合の方は、全くの凡戦で、本戦引き分け、延長で判定負け。お互いほとんど見合っていただけのような気がする。

31から40まで、色んなルールに挑戦し、競技を続けたが、この減量で完全に心が折れてしまった。

最後にゴングが鳴って、リングを降りるとき、もうこの世界に帰ることは無いな思ったとき、なんかやっぱり、涙がにじみでてきた。

マチュアだから、応援者もいないし、一人の無名のおっさんの地獄の減量とかだれも知るよしも無い。結局、一回戦負けで華やかさも無かったが、私の心の中の小さな物語として、今もあの日のことは忘れられない。