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修験道と古術。


平成27年9月11日 大和修験會 富嶽両界峯入修行 弐

 

https://www.youtube.com/watch?v=Wes7Stsk-tI

 
最近、本屋で、修験道関係の本を見つけると、だいたい、買うのだが、ほんと、基本構造は、古術の<言振信仰>文化体系と似ている。修験道の説明を書いた本の、<仏>の部分を、<神>と置き換えると、ほぼ、古術の言ってることと重なってくる。
 
といっても、私には、<修験>とは何かが、分かってるわけでもない。仏教的な用語は、なんとなく心が受け付けない。ここがまた、不思議なところである。
 
時々、<神道系山伏>と言う言葉に出会うが、その中身は知らないが、言葉のイメージからすると、それって、<古術じゃん?>と言う感じになる。
 
元々、九州豊前香春は、同じ田川郷に、日本三大修験霊場であった英彦山を抱えているのだから、むしろ影響を受けなかったという方がおかしいとも言える。
 
明治の、修験道禁止以来、私には、今一、理解できない修験道ではるが、修験の本を読むと、山に入る理由に関しては、よく分かる。
 
<修験が神道化したら、古術になる。>、もしくは、<修験の神道化したものが古術である。>と言う関係も十分に成り立つ。
 
今後も、<修験>には、関心を払ってゆきたい。