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武道をやって何か得があるのかと聞かれることがある。その度に、戦後的な風景だなと感じる。
何でも、損か、得かでしか判断できない時代。メリット・ディメリット。正直、そういう風潮にうんざりしている。
もちろん、私もそういう言葉を使う。特に、サラリーマン時代は、そういう言葉で人に説明し、納得させるのが私の主な仕事だった。芸法修練もメリット・デキメリットで説明しろと言われればいくらでもできる。
しかし、損得勘定でやる人は続かないと思う。
そこに、山があるから登る。最後は、そんな世界なのではないだろうか?
武道・格闘技の世界では、すぐに、強い・弱い、うまい・下手でマウントを取りたがる人がいるが、世の中の人は、学歴や社会的地位・収入・資産の多寡で人の価値を計る。武道・格闘技に関心が無い人にとっては、ふ~ん。程度のものでしかない。
競争も大事だが、狭い世界で、マウントを取りたがっても、違う価値基準で競争させられれば、居場所がなくなる。仕事場なら、仕事が出来るかどうか。学歴なら東大卒が一番評価されるだろう。普通に。
だから、私は、競争主義の人が好きではない。また、交わったところで、それこそ、さほどのメリットがない。
風門館は、日本拳法道・グローブ空手・防具空手の3種類に対応する稽古をしているが、競技武道中心の道場では無い。
競技武道も芸法修練の一つの手段だと思っている。我々、風門の一番の修練目的は、護身実用にある。それも、多忙な社会人のためのそれを研究している。
しかし、護身目的で、稽古していても長年、芸法修練を続けると不思議と同じような風貌になる。
なぜ、そうなるのかは、分からないが、それになる。
炎暑の夏、極寒の冬、多忙な仕事。その合間を縫って稽古を続ける。初めての他流試合。負けたときの悔しさ。それどころではない。1・2ヶ月稽古に来られない怪我。そんな思いを必ず体験する。見る側から、やる側に回った者が味わう、屈辱・歓喜・興奮・恐怖・絶望感。あらゆる非日常。
日常の乱取りでも痛い・きつい。第一、貴重な休日の午前中を削るのがつらい。
稽古の前日は、酒を飲めない。試合に出るとなると1ヶ月前から断酒、試合後も断酒。
仕事・家庭・地域行事。年を取れば取るほど、職場での責任は増える。武道修練で怪我をして、仕事を休むとなると職場の目は冷たい。
家族の目も冷たい。
それだけやっても、若い人間に追い抜かれていく。そういう時、辞めようかなと思い、一人、また一人と仲間が去って行く。
なんで、こんなことをやっているのかという自問自答を繰り返しながら、それでも、道場という居場所から離れられない自分に気づく。
その頃から、風貌が変わっていく。
人をうらやましがったり、妬んだり、ひがんだりしなくなる。稽古している自分の汗の心地よさ。心地よい風。仲間との弾む会話。
損得勘定が消える。風雪に耐え忍んだ古木のような風貌に似てくる。
稽古の合間に撮られた何気ない写真・動画。そこに映る邪念のない風貌。
<身魂磨きの行>という言葉の意味が、真に分かるようになる。人と比べない。
ただ、淡々と生計を立てながら、家族を養いながら、御道の行を続ける。
そこに、寡黙な、無心な風貌が並ぶようになる。
武道の魅力とは、そこにあるような気がする。単なる主観だが。