ブログを書き始めてから、すでに、一年が経った。初めの頃、無我夢中で書きまくった。長いこと門外不出であったため、誰かに話したという思いがこんなに強かったとは、自分でも驚いている。
私自身、現代武道の仲間達に、実は、古術福光派の相伝者であるとは、どうしても言えなかった。
伝書・系図もないし、明治以降の相伝者の写真さえ、残っていない。それだけ、徹底的に秘密主義であった。しかし、先々代も、先代も、化け物じみて強かった。肉体も精神も強靱であり、その芸もえぐいの一語に尽きた。
ところが、私と来たら、体は貧弱。芸もレベルが低すぎる。恥ずかしくて言えないという事情もあった。
つわぶきの花。これは、豊前福光党が愛した花である。うちの裏山に毎年咲く。美しい山野草である。
日の当たらない、木陰に、ひっそりと咲くが、その姿はあでやかである。古術は、豊前福光党の芸法だけでなく、ある種の学問・思想・信仰体系である、<言振文化>も継承してきた。だから、こういう山野に咲く野草を愛でる風習がある。
野に隠れ、山に伏し、しかし、その姿、清楚にして、屹然とする。それが、古術の理想である。
つわぶきの花のように。生きる。私もそうありたいと願っている。