
1981年・大道塾発足、
1984年・修斗発足
1988年・真武館全日本格闘技選手権開始
1993年・UFC初登場
日本拳法道とは何かを考える上で、上記の年表は重要だ。世界中の武道・格闘技が細分化される中、1980年代から、武道・格闘技の再統合化が試みられるようになった。その結果が現在のMMAにつながっている。
その世界史的な潮流の中で、日本拳法道連盟も木立善隆先生を中心として、地元福岡で開発された徒手総合乱取りルールだ。目的は、市街地護身実用用の全局面打撃対処型総合拳法を作ることにあった。
その技術・ルールとも、日本拳法がベースだが、軽量防具の使用・寝技10秒制限・ローキック有り・足関節・絞め・関節ありと源流の日本拳法よりも大道塾ルールに極めて近いのが特徴だ。
安全に、他流試合が出来ないか?安全にあらゆるアマチュア武道・格闘技が自分の技を使って異種格闘技戦をするためには、どうすればよいのか?そのため、サンボの出場も可能にするために、アキレス腱固めと膝十字の二種類のみ可となっている。
1990年代半ば頃、最盛期には、福岡武道館に少年部・一般・30歳以上総勢300人規模の大会が行われていた。二階の観客席も、関係者・応援で満席状態であった。
そういう大会があったことすら語られることもなく無名のまま。来年には、結成40周年を迎えようとしている。
新興武道とは言え、既に、40年の歴史を有し、コロナの三年間を除いて、毎年大会を積み重ね。本年で、第36回大会を向かえる。
私が、木立門下に入門したのが、1989年4月。私は、その年の秋に一般無差別級に出ている。その時は、第4回大会であったから、1986年成立が正しいのではないかと思っている。
そのときは、意識していなかったが、結成4年目に入門しているから、いわば開門弟子にあたる。当時いた師範達や黒帯は誰も残っていないので、私が最古参である。と同時に、木立善隆先生が、後4年で、引退を表明しているため、関門弟子と言うことになる。
まさか、自分が事実上の開門弟子にして、関門弟子になるとは、全く考えたことも無かった。見知った黒帯もほぼ消え去り、直門黒帯で、まだ、支部道場で後進の指導に当たっているのは、私一人だけになってしまった。
現在、私は、風門館で、日本拳法道と福光流柔術拳法を指導し、空手道錬和会の田川道場として、東会長の直伝稽古を門人諸氏と受けている最中である。
競技武道は、日本拳法道・グローブ空手・防具空手の三種を指導している。
護身・健康武道としては、日本拳法道・福光流柔術拳法・空手道錬和会 三法一致を唱えて活動している。
こういう前提の元に、私の知る日本拳法道とは何かを書き残して置く。
○日本拳法道とは何か?
木立先生の持論であったが、「自分の理想とする武道があるとすれば、そうなるようにルールを設計すれば良い」
これは、1995年頃、グレシー柔術が、日本でも名前が知られるようになった頃聞いた話しである。それまで、寝技は、膠着したら止めだったのが、突然寝技10秒制限になったので、理由を聞いたときに言われた言葉であり、未だに強い印象として残っている。
あの当時、既に、先生は、これからは寝技中心の総合武道、今日で言う、MMAスタイルの流行を予言していた。
だからこそ、敢えて寝技10秒という、真逆の方向性を取った。日本拳法道は、元々、市街地徒手護身実用を図るために開発されたルールだから、当然、一対多も想定している。
また、相手が得物を持っていた場合、組み付き、寝技引き込みは、非常に危険でることは言うまでも無い。1987年から既にそこまで想定して乱取り試合を続けた武道があるだろうか?
私も、その話を聞いた当時、ブラジル発祥の柔道もどき(と当時は思っていた)が、アメリカではともかく、柔道の本家、日本でこれほど普及するとは思っていなかった。
先生の慧眼の怖さの一つである。
従って、日本拳法道とは、極論すれば、その乱取り法が全てで有り、乱取り法が、その流儀の本質だと言っても過言では無い。
寝技10秒制限とすることで、日本拳法道ルールは、打撃6・投げ3・寝技1となるように設計された乱取り法となった。それこそが、打撃中心の総合拳法を作ろうとした木立先生の武道に関する形としての思想の示現だったと言える。
競技武道の怖さだが、ルールが設定されると、普段の稽古もその配分となる。風門館でも、週1回二時間の稽古のうち、前半一時間が、マット運動などの受け身から始まり、福光流の護身・組討の稽古。後半一時間が、試合を想定した、日本拳法道の基本・当身の受け返し・乱取り、最後は空手で締めるという流れで行っている。
年間通すと、ちょうど打撃6・投げ3・寝技1となるように稽古しているから、ルールこそが、その流儀の本質というのは間違いない。
2 日本拳法道とは、他流試合をすることで、理論上の術技を検証する徹底的な実証主義が本質の流儀である。
そもそも、私が、日本拳法道に入った理由が、安全に他流試合が出来るというその検証精神に惹かれたからである。
場さえ与えれば、自然発酵する。それが先生の考えであった。極論を言えば、別に自分の技術とは関係なく、このルールで、淘汰され、生き残った技、スタイルがあったとすれば、それが日本拳法道を名乗っても構わない。というよりも、それこそが日本拳法道だと考えていた節がある。もちろん、自分の技術にも愛着と確信はあっただろうが、それよりも、競技法こそが、木立伝日本拳法道の本質だと考えたのではないかと推察している。
日本拳法道連盟は、元々、他流儀との併修に寛容な門風があった。私も、入門した頃は、合気道と沖縄小林流をやりながらの入門だったが、特に隠す必要も無く、びっくりするくらいオープンだった。
それまで、八光流や合気系、沖縄小林流と他流との併修を嫌う風土で育ってきた私には、まばゆいくらいの自由さであった。この自由な気風が、私には、どうやらあったようで、そのまま、ずるずると居残って、気がついたら36年。まさかの、最後の関門弟子となってしまった。
競技偏重・他流試合重視。それも、強さ自慢とかが、目的ではない。よく、日本拳法道連盟の他流試合好きを売名行為と勘違いする人がいるが、むしろ大学の研究室に似ている。
先生に、「極論すると、相撲の試合でも出た方が良い」と言われたことがあるが、徹底した体験主義・実証主義・検証主義こそが、木立先生の本質だった。
私も、弟子と言うより研究生の一員として、木立研究所に入っていた感じだった。武道・格闘技をやっているというより、毎日が、体を使った実験場。そういう雰囲気だった。
この門風を私も、濃厚に引き継いでいるので、5種類のルール・15本のトーナメント・公式戦44戦の他流試合をやるはめになった。
3 日本拳法道形を知る以前。
本来、競技法と日本拳法道形の両輪があってこそ、流儀としての日本拳法道は、完成するというのが私の持論だ。
実は、私も二段を取るために形を習う以前、拳法基本素振り6本と試合用の工夫伝6本を学んだだけで、後は乱取りしかしていない。
そもそも、他流試合に出るために日本拳法道に入門したので、二段の形を習う以前、形があることも知らなかった。
当時の昇段審査は、審査という名前を借りた他流試合だったので、県警の逮捕術だとか他の空手諸派とがんがんなぐりあって、背中を見せずに時間いっぱい拳足を振るえていれば基本合格というような荒っぽい審査で4段まで来た。
形の審査をしたことはしたんだろうが、あんまり覚えていない。とにかく、乱取りで相手をぶっ飛ばせば合格。毎年の福岡武道館で、他流の黒帯に勝てば、その時点でまず合格だったので、形のこととか真剣に考えていなかった。
4 なぜ、私が日本拳法道形こそ、木立伝日本拳法道の核心だと発見したのか?
そういう私が、日本拳法道形の重要性に気がついたのは、指導者として、道場生を指導するようになってからだ。とにかく、乱取りはうまいのに、教えても教えても形が出来ない?
なぜ、出来ないのか私にはさっぱり分からなかった。日本拳法道形は、非常にシンプルで神秘のかけらも無い、実用一点張りの原理原則を教える形だ、まねるだけなら、誰でも出来る。・・・はずだ。第一、私は、見ただけで一通り出来た。
それが、少年部だけで無く、一般部も含めて出来ない。それで、同じ形を何度も指導するうちに、私は日本拳法道形が非常にうまくなった。
更に、この36年間、のべ900人教えた。他武道出身者の指導も多くしたが、乱取りは出来るのに、形は出来ないケースがほとんどだった。むしろ、純粋培養した未経験者の方が、形がうまく、継続するケースが多かった。
そう言う経緯を見てきたので、日本拳法道は、日本拳法道形で芯を作るべきだという考えに到った。
また、やがて。これは、木立伝総合拳法を作るためのレシピだと言うことに気づくようになった。
打撃だけで無く、相手を崩すための重心の奪い方、立ち関節の極意、あれ?この形をやると日本拳法道競技に必要なパッケージが全部揃っている。と同時に柔道とは別の接近戦技法が隠されていることに気がついた。それに気がついたのは、最近の事で、結果として36年かかったことになる。五段の形の意味がどうしても分からなかったが、その意味が分かった瞬間、全部のピースが見事にはまった。
5 日本拳法道乱取り競技法は、味。日本拳法道形はレシピという発見。
例えて言うと、木立風カレーがあったとしよう。これを味わいレシピなしで再現しようとしたら、ひたすらに作り続けるという方法がある。それが競技法だ。
だから、それぞれのベース、つまりカレーで言うなら、スパイスは、自前のもので良いと言うことになる。要は、木立風カレーになりさえすれば良いので、それを作るためのスパイスの配分は、各自自由で良い。これが木立風カレーの秘密だと思う。
10年前くらいから、突然、オープン審査という、武道界では聞いたことのない発想で審査会をやるようになった事の経緯はそこにあったのではないだろうか?
とにかく、あまり、自分の考えを言語化しないので、こちらとしては、読み解くしかない。この推理は当たっているのか、はずれているのか私にも分からないが、意外と当たっていると思う。
では、逆に、レシピを知り、作り方を知っているが、実食をしたことのない場合どうなるのか?これが、現在の風門館壮年部である。
木立風カレーを作るためのレシピを木立先生から直伝で学び、作り方や注意点など、あらゆるノウハウを味もレシピも両方知っている私から全て理論的に学んでいる。つまり、成分は知っている。スパイスも持っている。作り方も知っている。かなり近い部分までの実食体験はある。しかし、完全な実食経験はない。
現在残っている私の門下は、年二回、、先生直伝の形の講習会を受け、乱取りも立ち技だけだが、先生に見てもらった上で、審査を受ける。これは、私の昔からのやり方で、段を受ける場合は、必ず木立先生の直伝を受けた上で昇段させるシステムを取ってきた。
現在のメンバーは、より直伝を受けるように、級の段階から形の講習を受けさせてきた。
今回の審査で、三人昇段した。その日の帰り際、執拗に私に段の允可を任せるような発言があったので、真意が分からなかったが、どうも、木立風カレーを作る方法として、実食をして、自らの舌で、味を分析し、再現する方法と、それとは別に、レシピと作り方を知っている者から、味を再現する方法も残しておこうという判断だったのかも知れないと思うようになった。
相変わらず、面白い着眼点を持っているというか。それでも、出来るという確信があるのだろう。
6 レシピとノウハウを知る者達の次の世代へ繋がる未来へ。
私は、直門だから、競技絶対主義・検証主義・実証主義の権化だった。完全に染まったと言える。
しかし、現在の壮年部が、五段となり、門人を持つようになった場合。その先の未来が、見えないというか想像がつかない。
40代半ばで始め、三段まで6年。その間、緩いと言いながら、防具付きでかなり激しい乱取りをしなければならない。門下には、他流派の出身者も三割程度常にいるので、道場内の乱取り自体が、常に他流試合の様相を呈している。これは、私が木立門下に入ったときとまったく同じ状況である。
更に、風門祭で、元プロやこれからプロと打撃だけなどの変則ルールとは言え、他流試合を繰り返している。
日本拳法道は、拳法を名乗る以上、打撃はマストだ。これが出来ない者には、黒帯を出さない。組討寝技は、私が形稽古中心とは言え、指導しているから、競技に必要な技は五段まで来ればおおよそ指導が出来るように育成している。五段まで13年。指導者としては十分だろう。
彼らが、将来、日本拳法道の看板で、道場を構えるのかどうか私には予測も付かない。しかし、そこに、私のような他流試合好きが来る可能性は当然ある。
日本拳法道は、純粋に競技武道である。その看板で活動していたら、護身健康目的とは違う、競技志向の人間が来ない方がむしろあり得ない。
その時、どうするかが、彼ら自身に問われることになる。全員打撃は出来る。組討・寝技の基本も出来る。しかし、風門館は寝技は得意ではない。足関節や締めなど、私は今でもそれほど得意ではない。
そういう場合。私は組技の専門家を呼んで、講習会を開くことで乗りきってきた。つまり、門人を囲い込まない。人に平然と預ける。その結果、引き抜きにもあうが、仕方が無いと思っている。
総合ルールの指導者が何でもかんでも出来る方が少数派だろう。分からなければ専門家を呼んで学ぶ。この姿勢があれば、選手を育てることが出来る。
しかし、門人の囲い込みをやると結果として選手から逃げられる。選手志望の人間は馬鹿では無い。まして、情報のあふれている現在。しかも、MMAジムがいくらでもある時代。門人の囲い込みをやった時点で、その道場の信用は逆に失われる。
私は、その実例を知っている。
風門館では、三段で支部開設を許しているが、それは、あくまでも私の監督下でという意味だ。組技経験があれば、別だが、打撃技術だけで、MMAスタイルである日本拳法道の指導者になるのは難しい。
そこで、三段から、徐々に、新人の指導を任せるようにしている。そして、四段は、師範補として、私の助教を務めさせる。ここからは、指導のノハウの伝授も行う。
そして、五段になったら、完全分離。守・破・離。習い事の基本だろう。三段までは、守り、四段で自立の準備をする。五段で離れる。
それが、私の基本であり、風門館の基本だ。
先のことは分からない。かつて門人の一人から、こんないつ潰れるか分からない流儀の段位を取っても意味が無いと言われたことがある。
不思議と腹が立たなかった。空手拳法の出身ではないので、そういう発想になるんだろうが、空手拳法の世界では、別の流儀・別の武道・今ならジムに行くことなど珍しいことではない。
そして、行った先で、日本拳法道の○○段ですと言えば、立派に通用する。団体の新しさとかは関係が無い。むしろ系譜が重要になってくる。誰の弟子だったのか?そして、どんなルールの競技武道なのか?
日本拳法道の知名度は低いが、総合系のTOPは、けっこう知っている。試合動画も出しているので、知らない人には、動画を見せれば、それなりの評価を受ける。
私は、40歳の時に、九州比山ジムに一年間ほどお世話になったが、その前の年、比山先生と同じトーナメントに出ていたので、大事にされた。
男としてのプライドは保たれる流派だと言うことは言い残しておこう。
私の、門人が弟子を取るようになったときに、日本拳法道とは?と問われたら、私の記事を検索し、読ませれば良い。
その先は、各個が決めることだ。自分の修養として稽古する者は稽古し、他流試合をやりたいと言う者には、そのための技術を教える。
何をしても離れる者は、離れるし、残る者は、残る。その残った者で、我々の系譜を紡いでいけば、十分だろうと私は考えている。
はなれ