https://www.youtube.com/watch?v=QQxZrS3Tp5w&t=24s
風門館は、そもそも、非営利団体である。しかし、今まで、あまりそこを前面に押し出してこなかった。
なぜなら、非営利を謳うと必ず、ただが当たり前の人間が集まりだすからだ。そういう人間には、いくら説明しても、道理が通じない。
例えば、現在、福智町武道館は、使用料が値上がりしたため、都度払い1000円としている。今までは、個人時用が認められていたので、一回、700円で出来ていたのだが、個人使用廃止・団体使用のみ。一人であっても団体扱いとなり、1000円に値上げせざるを得なくなった。
ところが、払う側からすると1回・1000円は、それなりの値段に感じるのか、問い合わせなどで、非営利でお金を取るのはおかしいという声が出てきた。
筑豊・田川の土地柄と言えばそれまでだが、非営利=ただが当たり前の感覚に出会うと非常に気分が悪くなる。
まず、福智町武道館の場合。2時間・1040円である。先週の日曜日の場合。師範補と弦音丸初段の二人だけだったので、場所代一人500円。私が、場所代40円支払ったかっこうになる。
さらに、ミットなどの使用料をどう思ってるのか?電話の問い合わせや、日常的な会話の席で、非営利にしては、月4000円だと、集客は厳しいとか言われた日には、不快感MAXになる。
指導者に、場所代も払え、ミットなどの道具代も払え、ただで教えるが当たり前という感覚には呆れるしかない。
先日も、少年野球の指導者は、ボランティアで教えているのだから、空手・拳法がお金を取るのはおかしいという人がいた。場所代・道具の購入費は誰が払うのかと聞き返したら、黙っていたが、とにかく、戦後の日本人は、無意識に社会主義的な発想を持った人間が多く、何でもサービスされるのが当たり前だと思っている人が、我々が思う以上に多い。
それで、私は、非営利団体という言葉は、基本、使ってこなかった。ところが、小倉クラブの場合。徳力市民センターは、場所代はただだが、非営利団体にしか貸し出さないために、気乗りはしなかったが、ネット上、非営利を表に出さざるを得なくなった。
もとより、営利どころか、広告費などは、私の手持ちでやっている。慢性的に赤字常態だ。集客にかかる広告費などは、私の財力の許す範囲で行っても、それ自体、私の道楽の一つで有り、辞めたくなったら辞めればいいだけのことなので、何ともないが、普通にかかる運営費は自己負担が原則であろう。
小倉クラブの場合。クーラ代が、2時間で、1140円。月二回の稽古の内、一人がほとんどなので、もらった運営費1000円は、クーラー代で消える。
今の時点、私の交通費。往復1440円と、クーラー代、140円は私が負担している。
そういう状況の中、小倉クラブへの問い合わせも、ぼちぼちかかってきているが、少年部。都度払い・運営費・700円と告げると、意外と高いですねと言われることが増えた。出たよ。非営利団体あるある。とは思いつつも、丁寧に、クーラー代・ミットなどの購入費などの説明をするが、意外と高いしか言わないから、それなら、他に行けば言いやろと言いたくなるが、そこは大人の対応で、まあ、ご検討くださいとしか言いようがない。
しかし、何なんだろう。この風潮はと思う。
私に限らず、他のアマチュアスポーツ指導者も同じ問題でけっこう怒り心頭のご様子である。
特に、少年部の場合。指導には、ものすごく気を使う。例えば、トイレに行かせる場合。練習を中断して、トイレまで連れて行かなければならない。
この前、天音丸氏にそう言う話しをすると驚いていたが、誘拐などがあった場合。責任の取りようがない。めったに無いだろうと思いつつも、現在の治安悪化状況では、万が一はあり得ると思っていた方がいい。
少年部の指導には、それだけの気を使うということである。1回・700円だと、クーラー代を差し引けば、大人一人・子供一人の場合。560円。1.5時間で計算すると時給換算373円。
つまり、私は、時給373円で、多大な気を使い、肉体労働に近いミット持ちをし、指導した挙げ句、思ったより高いですね。非営利なのに、お金がいるんだとか言われなければならないことになる。
アマチュアスポーツの指導者は、お金のことを言うなという風潮があるが、場所代・クーラー代、ミットや防具類をただで使わせろというフリーライダー思想とは断固闘うべきだと私は思っている。
世の中の人は、私程度の指導者なら、買いたたけると思っている。そこが一番の問題なのだ。もちろん、露骨に口に出しては言わないが、腹の内には、田舎道場・集客に困っている・なら、買いたたけと思っているから、都度払い・700円は高いという声が出てくるのだ。
要するに舐められている。そこが一番腹立たしいし、そこで、妙な妥協をして、自分の芸と知見を安売りすべきではないと思う。
武士は食わねど高楊枝である。舐めた人間を入れても、場の空気が崩れて、現在いる、一番大事な門人を失う羽目になる。新規も欲しいが、今いる貴重な門人を失わないことが最優先課題だ。
世間は、私程度だと思っているだろうが、ここまで来るのに、時間と金をどれだけ費やしたか分からない。私程度でもそうなのだ。
5歳から、家伝の流儀の後継者として育てられ、剣道・空手・合気道・八光流柔術・日本拳法道これだけで、所有段位12段。古術に段位はなかったので、免許皆伝だが、段位換算すれば、計18段にはなるだろう。段を取った流儀とは別の合気系・空手などで1年ほど修行した経験もある。KBジムには月謝8000円で、1年ほど通った。当然段位取得には金がかかっている。
更に、アマチュアの場合。大会出場には、金がかかる。6000円が通り相場だ。15本✕6000円。怪我をすれば自己負担。アマチュアの公式戦で44戦闘い、昇段審査や、道場組手でも他流試合を繰り広げて、今の知見と技術を得た。
単純に金だけでも、ただで教えてくれないし、段位ももらえない。さらに、他流試合の知見など、金で買えるものではない。
それで、この程度だ。
当たり前だが、私は職業武道家ではない。一介のサラリーマンに過ぎず、その過酷な仕事の合間の貴重な時間をぬって、この程度のレベルに辿り着くのが精一杯だった。
この程度でも、金・時間を消費し、60年間。体を痛めてない日はほぼない常態で過ごして、この程度なのだ。
この程度だからと言って、時給300円程度で指導している。広告費・集客に関する費用は、自腹・持ち出し。
それを思ったより高いと言われるんだから、呆れる以上に、この風潮と闘わないと、日本のスポーツの底上げは出来ないと思う。
ボランティアが当たり前では、そのジャンルは伸びない。ブラジリアンなどけっこうお金を取るようだが、ある意味正解だと思っている。
苦労した分だけは報われる社会にならないと、人は努力をしないのでなないだろうか?
フリーライダーがのさばる社会は必ず衰退するというのが私の持論だ。当たり前だろう。苦労した者が、更に、ただにしろ。ただにしろを要求されたら、馬鹿馬鹿しくて、誰も苦労などしなくなる。ただ乗りがいいに決まっている。
現在、アマチュアスポーツの指導者が置かれている立場は苦しい。特に、公共施設を使う場合の非営利団体の縛りのきつさが、結局、指導者のやる気を失わせているのではないだろうか?
私も、非営利で特に暮らしに困るわけではないから、やれているが、お金のこと以上に、自分の芸と知見が買いたたかれてる・舐められていると感じたら、即座に断る。
私の非営利を世の中の人はすぐに勘違いするが、営利ではないから、こちらも教える相手は選ぶと言うことだ。
過去、何人も非営利を勘違いした人間がいた。習ってやろうかとか、行ってやってもいいとほざく人間には、即座に、そんな人間は必要ないから来なくて良いと言ったら、ショックな顔していたが、俺から、来て欲しいと言われる人間になれよと言いたくなる。
私が欲しいのは、二種類の人間だけだ。一つは、私と一緒に古術+日本拳法道をベースとした護身術。汎用性の高い・普遍性のある・再現性の高い技術を研究する仲間。もう一つは、日本拳法道ルールの試合に出る選手。
このいずれかに該当しない人間は、来る分には拒まないが、こちらが頭を下げてまで、向かえる気も無い。まさに非営利。営利を考えていたらこんなことは出来ないだろうが、目的が金銭ではないからこそ、こちら側も人を選んでいるのだ。
俺程度は、ただで教えるのが当たり前と思うのなら、俺程度のことを自分がやればいい。そもそも、プロの教えるジムがいくらでもある時代だ。俺程度に習う気が無いなら、金を払ってプロの指導を受ければいい。
それだけのことだが、プロに習うと金がかかるから、俺程度なら、ただでも行けるだろうと買いたたく舐めた人間。そこが一番腹が立つ。
ちなみに、こういうマイナスなことを書くと集客には不利だといういう人がいる。そんなことは分かっている。だから、非営利だと言ってるわけだ。
営利でないという意味をはき違えている人。風門館の非営利とはこういう意味です。