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私が、主催する風門館は、現代武道・格闘技の世界からすると、非常に変わっているし、余りにも異質だ。
表の日本拳法道は分かりやすいから、特に違和感はないだろうが、裏の顔がある。
風門館は、併伝武術として、私の一族だけに伝わった族外不出の護身武芸・鎌倉古流豊前伝福光派古術という長ったらしい名前で、かつ出自の怪しい流儀を伝えている。
この流儀が、頭のおかしい文化を残しているので、つい、それに引っ張られる傾向にある。
何しろ5歳から始めたため、どうしても、古術的な価値観で物事を捉えてしまう。私は、門中に、そういうものを強要したことはないが、長い門中ほど、その影響を受けてしまう。
千手丸師範補などその典型であろう。
古術福光派は、昔から他流試合を好んだ。理由は簡単で、族外不出の芸だから、他流試合をしないとその質の維持が出来ないという極めて明快な理由による。
しかし、そういう武芸的な見方だけで無く、頭のいかれている古術は、他流試合を覗きの行の一つとして行う。そう修験の世界観だ。死の恐怖に身をさらすことで、心眼が開くと信じる一種の信仰を持っている。
また、勝ち負けより、生き残ることに主眼を置くのも、乱で生き残る者には神が降りたとみる、いかれた信仰心による。他流試合は、ある種の神降ろしの行でもあるのだ。
また、肉体を激しくぶつけあうことは、身削ぎの行で有り、禊ぎとなる。すると曇った鏡を磨く身魂磨きの行となる。さすれば、御霊の鏡は、清浄となり、この世の全てをありのままに写し出すことが出来、道を誤らない。即ち、家守の芸となる。
まあ、こんな感じだ。だから、古術の本質部分は、普段、人に語ることはない。私自体は、普通のサラリーマンであった。現在は、年金で暮らしている。
常識的な生き方しか出来ない人間だったから、この古術が表に出れば、叩かれまくること必定というのは、十二分に承知している。
しかし、全てのものの考え方は、古術者の発想で見ているし、判断している。特に、道場では、それが色濃く出る。
私は、私の門下を三段階で区別している。白帯・茶帯は、会員。お客様として扱うから、この段階の人たちには言葉使いも丁寧だし、無理なことは一切させない。
初段・二段の黒帯は、門人として認識している。そこそこに厳しいことも言うが、基本客人である。
そして、三段以上。ここからは門中で有り、かなり厳しいことも言うし、無理もさせる。門中は、私い取って、弟子では無い。同志である。
無理も言うが、相手の意見も尊重する。現在、門中は、千手丸氏と木霊丸氏の二人のみ。
よく、私の下で長く続いたなと思う。
そして、私の影響なのか分からないが、とことん他流試合好き。しかし、千手丸氏も、スポーツ的な価値観では闘ってないと思う。
46歳で、なんで、こんな過酷なことをするのか私ですら理解できない。もう、私には理解不能な境地まで行っているので、彼に見える世界は、私の見た世界とは違った景色になっているだろう。
引退して欲しいという気持ちとどこまでやれるのか?見てみたいという気持ちと相半ばだが、全て彼の判断に任せている。
しかし、流儀のDNAと言うのは恐ろしい。元々、日本拳法道自体が、安全に異種格闘技戦ができないか?というコンセプトの元、1987年。日本拳法の乱取り法をベースに、福岡で開発された経緯がある。
私や、出雲丸先生など、空手バカ一代やアントニオ猪木の異種格闘技戦で育った第一世代が、福岡武道館で激闘を繰り返した。
その第一世代が育てたのが、千手丸氏などの第二世代だ。
特に、かっての風門同志会時代は、他流試合をしてなんぼという運営方針で、面突きありなら、何でも出て行き、ひたすら他流試合をしていた。
千手丸氏は、風門同志会、最後の門生で有り、リニューアルオープンした風門館草創の門中でもある。
私は、護身中心の道場でも満足だが、日本拳法道の看板で人を集めた以上、他流試合をしたい者を止めることは出来ない。
しかし、他流試合は遊び半分で出来るようなものではない。当然、スパーリングパートナーなしでは、成立しない。
平均年齢49歳の風門で、現役を支えるのは並大抵では無い。50歳前後の黒帯青龍隊がかなりの実力者揃いなので賄えているが、負担は大きい。
私自身、判断に迷うときがある。50歳前後の黒帯にどこまで鍛錬手合をさせてよいものか?
私は、40代で、手術を二回した。その結果。本来、指導者として一番いい時代を不遇に過ごした。そして、乱取り稽古をしないうちに、網膜剥離となり、乱取りが出来ない体になってしまった。
だから、50歳前後の乱取りに関しての経験値がない。いつまでやらせてよいのか?どの程度までやらせて良いのか?確信がない。
後遺症のこともある。65歳定年が当たり前になった時代。仕事が最優先で無くては、真の護身とは言えないだろう。
そう思いながら、やはり、福岡武道館に風門の幟を立てたいという気持ちも捨てきれないのも事実だ。
一方、形稽古中心・護身中心の稽古で、和やかにやれば楽しいという気持ちもある。
日本拳法道連盟では、現役最優先思想が根本にある。指導者と言えど、現役の言葉には逆らえないのが気風だ。その気風も私は好きだった。
そういう話しは、既に千手丸氏に伝えてある。現役続行も、引退も、最後は選手が決めることだ。
他流試合は、ある種の麻薬だ。特に一度勝つと辞められなくなる。そういう病的な人間が出ること自体が、風門らしく、また、日本拳法道らしい。
私の、最大の仕事は、指導ももちろんだが、集客にある。人が集まらないと稽古自体が出来ない。
単純に武道をしたい。格闘技をしたいと言うなら、選択肢はいくらでもるが、私は日本拳法道をしたい、かつ、古術の稽古がしたい。
となるとそれが出来るのは風門館しかない。ならば、やはり人を集めるしかないということになる。最後は、私自身の稽古場を守るための奔走に過ぎない。
自分のためだから、やれる。師範補にも、自分のためにやれば良いと伝えてある。