日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門之儀2024 2014年の風門館・回り道をさせた悔悟 10年前、風門館はこんなことをやっていた。

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風門之儀2024 2014年の風門館・回り道をさせた悔悟 10年前、風門館はこんなことをやっていた。

 

風門館は、打撃系総合拳法・日本拳法道を中心に稽古している。しかし、日本拳法道は、そもそも、競技武道で有り、福岡武道館で他流試合をしてなんぼという気風の団体である。

 

従って、大会に出す選手がいない時には、私としては、日本拳法道の指導には力が入らない。一方、私は、世間からは私が一代で創作したと噂されている怪しい護身武道・鎌倉古流豊前伝福光派古術・第16世守人(もりと)でもあるから、得物から体術と幅広く指導が出来る。

 

福山四段は、28歳で、私の下に入門したが、その頃は、日本拳法道連盟・風門同志会として活動しており、古術福光派の名前など外には一切出していなかった。

 

私は、46歳の時に、腰の大手術をし、形稽古も無理だろうと自分でも思っていた。当然、私がいないと当時の風門同志会は回らず第2次解散。

 

一年間、ソフトボール・テニスなどの、腰を捻る・回す運動の全てが禁止されており、武道稽古再開は絶望的な状況だった。

 

しかし、2年後か。ソフトボールくらいなら出来る範囲でと言われた頃、昔の門人達が、風門同志会を再結成してほしいと集まりだし、仕方なく、再開した。もう以前のようには動けないから技術指導だけになるがいいのかと念押ししての再開だった。

 

再開するとなると再び集客のために走り回る日々となった。その時に出会ったのが、福山師範補である。当時としては、28歳は、現役選手になるには遅すぎる年齢で有り、しかも、武道・格闘技未経験だから、私も競技武道は無理だろうと思っていた。

 

第三次風門同志会再開を懇願した連中は、結局すぐに辞め、残ったのは、いつもの田中師範と私だけ。それに未経験者の福山師範補のみ。

 

その頃から、ウエイトが、古術に傾きだした。元々、田中師範も若い頃に嫌というほど他流派と地下格闘技的な世界で撃ち合った人なので、晩年は、ゆっくり、古術の太刀振りの稽古をしたいと言うのが本音であった。若い、熱い福山師範補ともう燃え尽きて枯れてしまった私&田中師範。それでも、何とか稽古をしていたら、例のアスベスト事件が起きて、第3次解散となった。

 

それ、以降、08年だったか、09年だったか覚えていないが、日本拳法道と古術を教える風門館で良ければ、稽古を再開すると宣言して、以降、日本拳法道と豊前福光派古術を併伝する風門館として今日に到っている。

 

この間、色んな誹謗中傷がなされた。特に、古術を表に出したために、私が、勝手に日本拳法道から離脱して、新しい流派を起ち上げたキャンペーンはひどかった。

 

私は、今も宗家の直門で有り、宗家から学んだ日本拳法道の形・基本の素振りはそのまま伝えている。私なりに応用した場合なども、宗家はこう教えると必ず正確に門下に伝える。三日前の日曜日。佐賀の交流大会の折にも、五段の形の直伝教授を受けている。日本拳法道連盟で、未だに私以外に継続して宗家から形の直伝教授を受けている人間がいるのか?そういう話しは聞いたことがない。

 

適当に習った人間が、私に対する嫉妬から怪しい流言飛語を飛ばすのだから、うんざりしている。

 

第一、この得物武芸をどうやって日本拳法道から作るのか?日本拳法道の関係者には、得物武芸の知識が無いのをいいことに勝手な誹謗中傷を匿名で拡散するから見苦しいの一語に尽きる。

 

また、そういう人間に限って、表向きは武道とか、礼儀作法とか言っているから腹が立つと言うよりお笑い草だ。

 

そんなこんなで、2014年当時の風門館は、拳法体術もやっていたが、こんこともやっていた、当時福山師範補が36歳。

 

この頃の門人は8名くらいだったか。この中で、日本拳法道の大会に出たいと望んでいたのは福山四段のみ。他は、古術の剣術が習いたい人間か。もしくは、健康法として武道を楽しみたい人間かしかいなかった。しかも、8名中二人が剣道有段者。残り6人も、全員古術式の剣術ができるものばかり。となると、どうしても剣術の稽古にウエイトがかかってしまう。しかも、当時は、まだ、鉄パイプ剣術の団体との交流が頻繁にあり、風門館も鉄パイプ剣術による他流試合を盛んに行っていた。

*鉄パイプに緩衝材を巻いた袋刀という得物での他流稽古・あくまでも、寸止め。誤解の無いように。

 

防具着装で、安全性の高さを謳い文句にする日本拳法道だが、実は大きな事故も起きる。その中で、他流試合をし続ける物好きは、風門館の36年間で私と福山四段の二人だけだった。

 

日本拳法道と古術福光派併伝の風門館の技術は幅広い。多くの人の要望に応えられる引き出しの広さを持っているが、それが、競技武道としては、裏目に出る。

 

というより、競技武道をやりたい人間を集める能力が私に無いから、どうしても、日本拳法道だけやりたい人には回り道をさせることになる。

 

いよいよ、福山師範補の引退試合まで、残り3ヶ月。我が儘を言わず、常に、風門のその時々の人間の気質に合わせて稽古しながら、福岡武道館の檜舞台意立ち続けることを忘れなかったのだから、人として、武道家として私を既に越えている。

 

最後の福岡武道館で、これが風門スタイルだ。これが真の日本拳法道だという試合展開になるよう私も全力でサポートする。