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風門館徒然。切羽根・片掬 幸せの形とは何か?
令和5年4月30日。日曜日。午前の部。晴れ。田川郡福智町武道館。
行者:千手丸氏・常磐丸氏・上羽丸氏
稽古内容 体術護身・体術総合
護身:豊前福光派古術素手第2法拍子取り(奥伝) 切羽根片掬・切羽根両掬
花手12本の中から習熟度別に選択稽古
一本目:腰車、四本目:前落、五本目:大外掛、六本目:裾払、七本目:大外刈り
八本目:蹴手繰大外、九本目:小内大内、十本目:払車、十一本目:足払
十二本目:負車
日本拳法道連盟 各自の課題形
受け返しフリー稽古 20分。
鍛錬手合L4 2分・1R
鍛錬手合L3.5 変手スタイル 1:30×2R
目が疲れるので、稽古禄を書くのがおっくうになってきている。止まることを知らない老化の波に、逆らいながら日々を生きているが、それで、不満があるとかではない。十分満足している。
昨年の3月まで、リーマンだったのに、わずか1年で、キーボードを叩くのが遅い・かつデタラメなほど打ち間違える。
専門職なので、パソコン登場以前の、ワープロ時代から、キーボードをひたすら叩き続け、自己流だが、けっこう流れるように作業していたのが、とにかく、手がうまく回らない。老化もあるが、環境変化も多いと思う。
普段、ネットを見るのは、もっぱらスマホであり、この稽古禄を書くとき以外、キーボードを叩くと言うことがないのも大きいと思う。
何でもやらないと衰えるの典型だろう。
さて、<幸せの形とは何か?>と仰々しいタイトルを付けているが、私にとって、重要なことは、私が、幸せかどうかという一点にある。
私は、古術の稽古をしている時が一番機嫌がいい。もちろん、日本拳法道も34年やっているから好きなんだが、65歳にもなって、自分自身が競技武道をやりたい訳でもない。
だから、自分の稽古としては、稽古の最初に毎週二手教える拍子取りが一番楽しい。わくわくする。
この年になって、まだ、わくわくする趣味を持っている俺ってなんて幸せなんだろうと思う時がよくある。
そこが生涯武道の最大の魅力ではないだろうか?
私は、人のためにとか、世の中のためにと言う言葉を前面に押し出す人間が嫌いだ。捨身とか、本当に行えるのかと疑いを持っているからだ。
こう書くとすぐに言葉の表面を捉えて、反省しろ人間が現れるが、自分のためなら、人を犠牲にして良いと言ってる訳ではない。
人に迷惑をかけず、自分の満足のために、行い。それで、幸福感を得られるなら、最高じゃないですか?と言いたいだけだ。
31歳の時に、日本拳法道連盟田川同好会を起ち上げ、学びながら教え、教えながら学び、稽古し、選手として闘いつつ、少年部も指導し、本業にヘロヘロになった、この34年の長きに渡る武道LIFEを見て、あんたも好きねとよく言われる。
まさにその通り。私自身が好きだからやっている。その上で、私と同じような考えの人に場を提供しようと奮闘している。
基本、自分の満足のためにやっているから、不満が無い。人を責める気も無い。
だから、続いていると思う。よく、道場のためとか、仲間のためにとか言う少年漫画風なことを言う人間がいるが、そういう人間で長続きした例を見たことがない。
人間、基本は自分のためにするから続くと言うのが私の持論だ。
だから、門中・門人にどうしたいのか?稽古の目的は何ですか?常に聞くのも、その人の満足感を得る方向でサポートしたいからだ。
ただし、何度も強調しているが、風門館は、お金の安いKBジムではない。防具式徒手総合武道と得物・素手を含む総合護身武芸である鎌倉古流福光派を教えている道場だ。
グローブ空手だけやりたいとか寝技だけやり人は、KBジムやブラジリアン道場に行くのが筋だろう。
今や、選択肢がいくらでもある時代。私は流行り物を追う気などはさらさらない。
風門館は、看板通り、日本拳法道と鎌倉古流を教えていく。
それで、私のように満足する場を持てる人がいれば、社会貢献にもなる。自分のために活動し、それが、人のためにもなる。そういう道楽を持てた幸せ。
これ以上の幸福感は持てないだろう。
それが、私にとっての<幸せの形>ということになる。今回は、落ちがうまく着地した。これも、快である。
風門館事務局 0947・32・3550 代表福光まで。