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風門館徒然。#大人のための部活動とは何か?
令和5年2月19日。日曜日。午前の部。晴れ。直方市民体育センター柔道場。
行者:常磐丸氏・千木丸氏・八咫丸氏・弦音丸氏・上羽丸氏・A氏。
稽古内容 体術護身・体術総合
花手 1本目・腰車、2本目・鉢返・鉢落、3本目・鉢回。
風門館当身拳法素振り12箇条
風神波、1本目~6本目
日本拳法道形 6級から1級まで、各自の課題形
着胴蹴込み稽古:左右直蹴り。猫足からの前直蹴り。横蹴り・横蹴りから後ろ蹴り
鍛錬手合L1 1分4R
フルコンルール 1分2R
書きたいことは、山ほどあるが、網膜剥離した右目が不調のため、簡潔に記す。
風門祭で、膝の靱帯を痛めた千木丸氏が復帰。良かった。風門館では、試合とは、文字通り「試し合い」であるとの信条で、あくまでも、本人の意志・経験値・年齢などを配慮しながら出場させるが、日本拳法道は、元来、他流試合をするために結成された流儀だから、根っから他流試合好きであるのも事実だ。
確かに、40代後半の門人達に、試合を経験させるのはリスクが高いのだが、一方で経験させたいという気持ちがあるのも、この流儀の病的体質による。
特に、他流試合歴のない黒帯というのは、私には耐えがたい。無論、年齢の壁は大きいので、50歳以上や女性は、現在他流試合無しでも黒帯を出しているが、40代後半というのは、私にとって、一番悩むところである。
しかし、良かった。靱帯を痛めたと聞いたときは、指導者として責任を感じた。
と同時に、年齢的に10歳くらい若い歴戦の強者相手に、互角の打ち合いを演じた千木丸初段を誇らしく思う気持ちがあったのも事実だ。
たかが、防具付きではないかと言われるが、日本拳法道ルールは見た目以上にやばい。関係者なら、全員が知っているし、知っているから同じコートに立った戦友として、流派の垣根を越えて、相手を認めるという風土が生まれる。
闘い敗れ、傷ついたとしても、いや、むしろ傷ついたからこそ、その現場を踏んだ人間に敬意を表す。知っている者同士は。
世の中の人には、全く知られていない、小さな世界だが、その小さな世界でも、知っている者同士は、敗者をあざ笑ったりはしない。
コートに立った勇気。しかも、49歳でだ。
観客として見るのは簡単だが、自分が49歳で他流試合をやれと言われて出来るかと言うと簡単では無いだろう。しかも、初公式戦・初他流試合なのだ。
関係者はその点を認めている。色々な流派の歴戦の強者から認められる。それが、男の矜恃だ。
リスクと男の矜恃との間を揺らめく逡巡。コートに立つと言うことは、体を賭けて勝負すると言うことに他ならない。
この逡巡は、経験者にしか分からない。
私は、護身には、試合経験は無くても良いと指導している。あった方が良いのかも知れないとは思っているが、役に立つかどうかは、その場の局面によるので、役に立たないかも知れないとも思っている。
しかも、試合で体を壊したら、いざと言うときの戦闘値は落ちるのだから、凡夫の護身にはならないと言うのが私の立ち位置だ。
しかし、男としての矜恃を得たいというのなら、コートに立ついうのも選択肢の一つだと私は考えている。
人はいずれ死ぬ。万が一の際の護身など、今の日本では、むしろ出会わずに死ぬ確率の方が高いだろう。
であれば、体を壊すというリスクを承知の上で、コートに上がり、男としての矜恃を得て満足して死んでいくという選択肢もあり得る。
いずれにせよ、最後は自分で選び、選んだ以上、自分の選んだ選択に責任を持つ。その覚悟が、風門士道だ。
49歳で、リスクと矜恃の間で揺らめく逡巡を経験したであろう千木丸初段は、いい指導者になると推察している。
風門館事務局。0947・32・3550 代表福光まで。