日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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第7回風門祭日本拳法道錬成大会。円陣・風門ファイト。田川郡福智町武道館。2022・11・27。

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https://www.youtube.com/watch?v=AJ9JuWhGyzo

 

日本拳法道は、その名が示す通り、元々は、日本拳法の技術・乱取り法をベースに、九州・福岡で新たに編成された新興流儀である。

 

私が、日本拳法道に入門した最大の理由が、元々日拳スタイルが好きだった。しかし、ロー有りが良かった。しかも、防具が軽量で、大会がフルオープントーナメントのため、安全に他流試合が出来る。という4点にあった。

 

ほぼ、私の理想を叶えてくれたのが、日本拳法道だったので、その存在を知った半年後に、入門した。

 

以来、密かにやりたかったのが、この円陣ファイト。日本拳法ではよくやっているので、私もやりたくて仕方が無かった。

 

だが、日本拳法道の大会は、個人戦しかないので、福岡武道館では、なかなか、やれる雰囲気では無い。

 

風門祭ならやれると思ったら、いつも、人が少なすぎて、ちょっと無理があるかな・・・。で、結局やれないままだったが、遂に成し遂げた。感無量。

 

現在、風門館は、総勢9名。この日は、二人私用や体調不良などで欠席していたが、それでも7名いるので、けっこうな迫力となった。

 

よく、護身とルールのある競技武道は別物と言われる。私もそう思う。しかし、そもそも、普通のサラリーマンで、路上の現実を知るということは、なかなかあるものではない。ものすごく知っているとしたら、特殊な経歴の持ち主だろう。

 

だから、一つのシュミレーションとしての競技武道の経験は大きい。どんなルールでも現実と違うのは当たり前だから、競技だけでもなく、形だけでも無くが私の理想としてある。

 

また、門人の入門の動機も様々であるから、スポーツとして楽しみたいと言うのを否定することはできない。

 

現実問題、大会を控えての2ヶ月間の特練は大きな成果を上げた。

 

そして、この明るいノリもまた楽しみの一つである。護身・護身と言っていると、気が滅入る場合がある。

 

普通のサラリーマンにとって、最大の敵は、仕事上のストレスだ。このストレスから開放される瞬間。

 

広い意味で言えば、それが一番の護身では無いかと思っている。

 

習い事には、楽しさも必要である。耐えろとか。忍耐とかは、リーマンは仕事で嫌というほど味わっている。それに加えて週末の習い事まで、苦行を強いられたらたまったものではない。

 

そういう意味で、スポーツ的なノリで楽しむことの意義は大きい。しかも、防具付きとは言え、実際はかなりえぐい。

 

安全性を謳っているが、試合そのものは、コンタクトスポーツだから、防具を付けないルールより安全だと言ってるに過ぎない。

 

忍耐とかは、それで十分だと思う。

 

最後に、何故、私が円陣に拘るのかも話しておこう。

 

古術者は、秩序を重んずる。しかし、その秩序とは、階級的なそれではない。先達は、あくまでも先達だから敬意を持たれるのであって、身分とか階級では無い。

 

元々、一族相伝の流儀だから、身内の論理なのだ。即ち、円陣とは、階級ではないことを示している。

 

同心円を組む時、その円陣に先達はあっても、階級はない。一味同心・傘連判状の発想である。

 

あまり古術的な話しをすると受け付けない門人もいるので、普段は、話さないが、このブログを読めば、一見ノリでやっている円陣の真の意味・意図が分かるだろう。

 

形には、思想が込められている。小は大の雛形。即ち相似形である。

 

古術者の円陣は、そのまま、天下万民が等しくあれという世界観を示している。というような小難しい話しを理解した者が古術を受け継ぎ、そういうのに関心がないものは、競技武道としての日本拳法道をやればよい。

 

私は、どちらでも良いと思っている。古術も日本拳法道もどちらも好きだ。ただ、私が教える風門館は、両流併伝が基本であることを知ってもらえたらそれで良い。

 

風門館事務局 0947・32・3550 代表福光まで。