https://www.youtube.com/watch?v=t2ePz4nsYqI&t=11s
風門館では、自由組手のことを鍛錬手合と呼んでいる。では、何を鍛錬しているのか?
その目的は、いくつかあるのだが、一つには、身削ぎの行としてやっている面がある。
身削ぎは、禊ぎに通ずる。荒魂をぶつけあうことで、身削ぎをし、角を取り、丸く、丸く、最後には球となる。
川の石も激流にもまれ、角が取れ、やがては、丸くなるように。
風門館は、競技スポーツを否定しないが、我々の場合。そこでの勝敗は、そこまで、頓着しない。一つの勝ち、一つの負けは、一つの過程でしか無い。
重要なことは、そこへ到るまでの道のりにある。
防具を付けていても、面は当て止めであっても、道具外れを撃って良いルールなので、文字通り体が削がれ、心が削られる。
そうやって、身削ぎの行を続けることが、禊ぎと也、すなわち、円満なる技と心を得ることが出来ると古術では信じられていた。
こういう古術的な観念を話すと、頭がおかしいと言われる時代だが、私はそういうつもりで指導している。
八咫丸氏、43歳で空手を始めたらしい。うちに来たのは、昨年の4月か?風門館では、個人の内面に一切立ち入らないのを原則としている。
だから、入会の動機もとくに聞かない。長く稽古していれば、その人の考えも自ずから分かるようになるし、また、本人が話すことで知り得ることもある。
ただ、46歳になっても、激烈な稽古を続ける何かモチベーションはあるのだろう。
感心している。その一語に尽きる。
この身削ぎの行に耐えるためには、まず、生活を整えなければならない。体調が悪いとこの行は耐えられない。睡眠を取り、規則正しい生活を送る。
そのことで、心が洗われて行くのかも知れない。
40代後半の男たちが、なぜかくも闘うのか?不思議でも有り、同時に、畏敬の念を覚えている。
かって、40歳の時、私が、1年間に4本のトーナメントに上がったとき。周囲からは、すごいと言われたのだけが自慢であったが、もう、そういう記録も塗り替えられた。
風門館壮年部。平均年齢47.5歳。どうかしてるよと思いながら、こんな男たちのことを記録に残したいと思っている。
46歳の青春。奮闘する彼らに私の好きな曲を贈る。