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古術の手業を文字で説明すると非常に長くなるが、基本的に押さえておかなければならないのは、その技術の背景にある時代環境だ。
古術は、開祖明正公が九州豊前香春に帰農するにあたり、万が一の家守の芸として、発案された。つまり、開流したのは、江戸初期であるから、合戦武術・甲冑武術の要素が強かったのは当然である。
しかし、江戸の太平の時代。百姓を長くしていれば、平腰・筒袖・筒袴で使いやすい当身、取り分け蹴足が非常に発達するのは当然の帰結であろう。
我が流が、他流と異なるのは、幕末12代目。福光三郎左衛門猪之吉さんを得たことにある。
猪之吉さんは、豊長戦争・秋月の乱・佐賀の乱・西南戦争という幕末から、明治10年まで、北部九州で4度行われた野戦白兵戦に、全て参加した。
その際に得た経験を元に、古法を改編し、新たに新法をたてた。これが私が継いでいる鎌倉古流豊前伝福光派の本質である。
我々古術者は、それを近代古術と呼んでいる。ここで誤解してほしくないのは、あくまでも時代環境に合わせての改編であって、まったく別の流儀になった訳ではない。あくまでも、古法をベースに、銃砲火の硝煙が漂う中で、いかに無駄なく、戦い、いかに生き延びるか。そういう新法を福光の手として残したのである。
この岩斬など、典型だが、古法であり、新法である特徴を有している。
首を取る必要が無かった時代。いかに早く斬るか、之が一番重要であった。古術は、元々体術が出来るということを前提に作られた体系なので、他の流儀とは違い、斬り結んでからの接近戦で相手を転がすことを得意とする。
古法では、とどめは刺すのだが、乱戦時刺すと抜くのに時間がかかる。1秒の差で、生死が決まる銃砲火飛び交う乱戦白兵戦で、そのような余裕はない。
従って、地面に転がった相手を斬るための手が、この岩斬である。
これは、古法の甲冑用武術そのままである。
空手でいう半騎馬立ちを古術では、武者腰という。平腰から落とし腰・武者腰→平腰。
これを繰り返すことで、沈みの感覚を得ることが出来る。下半身の鍛錬ともなり、
この沈みを使って、当てを打つと威力が上がる。
中国拳法で言う沈墜ケイと同じ理屈ではないかと思う。
得物の形を振ることが、そのまま体術の鍛錬となり、体術の稽古がそのまま得物使いの歩法・体捌き・体使いとなる。
一芸は万芸を生み、万芸は一芸に帰する。新法は古法を含み、古法は新法を生み、生成化育する。
古術の根本原理である。