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護身術というのは、単に相手を壊せば良いと言うわけでは無いので、非常に難しい。特に法治下における護身は、色んな局面で、我々のような良識ある市民には不利に働く。
まず、常に意識しなければならないのは、無法者は、どんな無茶をしてくるか分からないが、我々善良なる市民は、常に過剰防衛を気にしなければならないというハンディがあるということだ。
最悪の場合は、過剰防衛になっても、自分と家族を守ること。これが最優先だが、状況が許せるなら、極力過剰防衛を避けつつ、身を守りたい。
特に、現役の社会人にとっては、死活問題だと思う。
風門館は、日本拳法道を主軸として稽古しているが、その日本拳法道の形で芯を作りながら、併伝武道である福光流で護身武芸を学ぶ。
福光流は得物・体術含む総合護身武芸なので、手業のバリエーションにはこと欠かない。そこが、風門館の強みだと思っている。
また、福光流は、武家の流儀と違って、百姓の家守の芸として伝わってきたため、殴る蹴るへの対処も当然工夫が凝らされている。
この鷲掴みも、福光流の護身芸法の手業そのものだが、相手の拳を抑え、掴み、体で捌く。
江戸期も、村落共同体で、相手を破壊すれば良いかというとそうはいかない。出来れば、身を守りつつ。世間ともうまくやっていく。
護身と言うのは、その時代の社会的環境に左右される。
乱時に必要なのは武術だが、平時には護身の芸が求められる。最悪を想定しながらも、過剰防衛を取られない技芸。それも、今の時代に必要な護身芸法だ。