風門館 大人のための護身教室 日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 公式ブログ

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風門士情 I'm proud of 父親達の日本拳法道。

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https://www.youtube.com/watch?v=YZ4uNYZI2hI

 

 

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https://www.youtube.com/watch?v=DkCFIRXnyRU

 

I'm proud of  ~ 

 

現在、風門館には、40代が4人。50代が一人いる。無理の無いようにと配慮しながらも、けっこうえぐいことをさせていると思う。

 

今、年輩者が多い、風門館では、着面・着籠手で、面触れ止め・他ライトコンタクトの鍛錬手合L1.3を標準の組手法として採用しているが、意外とえぐい。

 

面を付けた上で、振れ止めだが、当たることは当然ある。胴もライトコンタクトだが、アバラを折るなと言うあいまいな基準だから、アバラ以外に、拍子で強打が入り、悶絶したとしても、だから、現実はそうなんですよ。という感じだ。

 

さらに、ローに至っては、翌日仕事に行ける程度にしなさいということなので、稽古終了後、正座が出来ないというのはよくあることで、頓着していない。

 

私の、安全への配慮の基準は、あくまでも、翌日に仕事に行ける程度にしなさいと言うことなので、多少の痛み・怪我は当然あることと言う前提でやっている。

 

そこらへんを勘違いして、30代で、日本拳法道の段を取りたい、しかし、組手はしたくないという人間がたまに、体験に来る。

 

福光流なら、組手なしでも、段級は取らせるが、30代・40代で、組手無しの日本拳法道の段はない。ネットでも、コース別の説明は詳しく書いているつもりだが、そういう人間に限って、説明は、ほぼ、読んでいない。

 

そして、そういう人間で頭にくるのは、福光流の段・級とか、もらっても価値がないと平然と言うから、冷静に対応しようと思いながらも、最後は、怒声になる。

 

なら、組手をして、日本拳法道の段・級を取れと怒鳴ると、試合も嫌・組手も痛いからしたくない。形だけで、日本拳法道の段・級が欲しいと言うから、最後は怒鳴る気にもなれない。60過ぎてから、来てくださいと返答している。

 

それにしても、うちの、40代・50代は、立派だ。経験者・未経験者。経験者も出自はバラバラ。空手・ボクシングなど。

 

週一回2時間。何が彼らをこれほど駆り立てるのか。反面不思議に感じながら、その理由を聞こうとは思わない。

 

それぞれに、何か。理由なり、事情なりがあるんだろうと思う。

 

護身としてやっているのか?

健康法としてやっているのか?

それとも、人生の中で、置き忘れた何かを探すためにやっているのか?

 

突然、話しが変わるが、最近、華原朋美の生き様が気になって、よく、全盛期の動画を見るようになった。

 

1996年3月リーリース。I'm proud

 

華原朋美の全盛期の頃、彼女にはまったく、興味が無かった。しかし、同じ年11月

日本拳法道福岡武道館67K以下級で、決勝まで5回戦を闘い抜き、準優勝した私もまた、その前後が、絶頂期だった。

 

仕事場でも、指揮棒を振るいまくり、道場でも、いけいけどんどん。

 

その後、しばらくして、入院手術を繰り返し、不安に怯えながら過ごした40代。

 

華原朋美も、絶頂期からの転落は見事だった。その転落からの復帰というか、最近の華原を見ていると、プライドも栄光も捨て去った、ありのままの自分で勝負している姿に圧倒される。

 

プロの修羅場をくぐった人間は、物が違うなと改めて感じているところだ。

 

可愛かった華原と福岡武道館のコートの上で光り輝いていた私がダブる。その華原の今の、仕事ならなんでもやるという雑食性の強さに圧倒されながら、私も、そうあらねばならないという気持ちを奮い立たせている。

 

I'm proud of  ~ 

 

私は、~のことを誇りに思っていると言う意味らしい。

 

実は、Iは、彼らの子供たちかも知れない。

 

I'm proud of  my   father.

 

普通は、こういう形で使うらしい。子供達が、自分の父親について、40代・50代にも関わらず、一銭の特にもならない稽古をして、その度、あざを隠し、シップを貼りまくる姿を小馬鹿にしながらも、実は、自分の父親の奮闘する姿を誇らしく思っているのかも知れない。

 

あるいは、

 

I'm proud of  my   life.

 

私などは、そのために闘ってきた。そして、悔いは無い。そういう、何か、自分の誇りために、行を行っているのかも知れない。(ちなみに、これが文法的に正しいのかどうかは知らない。)

 

私は、詮索しない。勝手に憶測で書いているが、栄光と挫折。そこから這い上がってきた華原朋美は、私には、戦友である。

 

風門の、会員・門人・門中諸氏も、きっと自分の中のやり残した何かと闘うために風門館の扉を叩いたのだと思う。

 

であれば、その思いが叶うことを願い。私も、やれるところまで、歩いていくつもりだ。

 

いつものように、華原朋美の歌を聴きながら、動画と合わせると、けっこういい作品になっていると思います。