令和3年10月24日。日曜日。午前の部。晴れ。田川郡福智町武道館
行者:千手丸氏・常磐丸氏・千木丸氏・T氏。
稽古内容 体術総合・体術護身
・股関節柔軟3種。
・受け返し:回し蹴り防御・面突き3連4種ブロック
・着胴蹴込み稽古 左右直蹴り・左右横蹴り・内回し・外回し蹴り。
・サンドバック 30秒×2
・鍛錬手合L1 60秒×3
稽古は、順調。拍子取りもすぐにできる訳ではないので、後、一週したら、組み討ちの稽古へ移ろうと考えている。
先週の、昇級審査会で、蹴り技の防御や、蹴り技のバランスの乱れがひどかったので、当分、蹴り技中心の稽古をしようと思っている。
本日は、早速、三級の賞状が宗家から届いてたので、賞状の授与式を行った。最近の、若い人は、三級・茶帯をありがたがらないが、我々の世代では、空手でも合気道でも、茶帯はまぶしかった。
私は、大学時代は八光流柔術をやっていて、3段までいった。その後、合気道に入ったが、同じ合気系であっても、入門すれば、白帯から始まる。その時の、最初の目標が茶帯を取ることであった。
白帯と茶帯では、なんとなくオーラが違う。そんな時代だった。
日本拳法道連盟でも、3級以上は茶帯なのだが、茶帯を買うのが、もったいないらしく、あまりしたがらない。私なら、絶対するのにといつも残念に思う。
競技武道の場合。段より実力という風潮があるが、それは、あくまでも、TOP選手の場合の話しであって、普通の人間は、そういう風潮をまねしてみても、試合に勝つとか以前に、まず、試合に出ることも無く辞めていく者が大半である。また、試合に出たとしても、1回トーナメントに出たくらいで、段より実力と言っても、正直、笑うしか無い。
私の経験上、段・級に拘らないという人間は、続かない。いや。むしろ続けるつもりが無いから、段・級に拘らないと言っているふしがある。言い訳を用意していたんだなとつくづく思う。
だから、風門では、段・級にうるさい。半年に一度の昇級審査の時は、受ける級によって、ガチ度を上げていく。無論。年齢には配慮するが、かつて、日本拳法道連盟の初段とは、日本拳法道ルールでの他流試合を経験した者に与えられるのが基本であった。福岡武道館のコートに上がったことが無い者には、黒帯は与えない。それが不文律であった。
また、二段とは、他流の黒帯に勝った者に与えられるものであったから、けっこう厳しいと言えば厳しかった。その結果。有段者が育たず。組織的に壊滅状態になってしまったと言うのが現況である。
その反省の上で、今は、40以上の人には、無理な組み手はさせない。形を重視するし、スパーも面は当て止めが多い。特に、50以上の人には、マススパーで審査という形を取っている。
試合は、うまさより強さが大事だと思う。しかし、段・級は強さよりうまさを重視する。だから、年齢は、あまり関係が無い。将来の指導者を育てる。それが、段・級の審査の最大の目的だと思う。
ところで、よく、武道と格闘技とどこが違うのかと聞かれることがある。私は、即座に文化が違うと答えている。
道着を着るという文化・段級審査があるという文化。これが、武道と格闘技の文化的違いの最大のものではないだろうか?
何を好むか。何を選択するかは、個々人の考えで良いと思っている。しかし、同時に、道場側にも選択する自由がある。
風門館は、武道をやっている。だから、道着を着るという文化と段級には拘って運営している。大人のための護身術を謳っているが、決して、大人のための格闘技とは言っていないはずだ。
道着を着たくない。段・級とか無用と言うのであれば、格闘技のジムに行けば良いだけのことである。
私にとっての武道とは、武の道であるから、強い・弱い、よりもいかに長く続けるかを重視している。風門館とはそういう価値観をもって、運営している道場だ。今は、KBやMMAのジムがいくらでもある。強くなりたいのなら、格闘技ジムで、プロの指導を受ける方が、確実であろう。
しかし、強い・弱いよりも、生涯武道として続けたいというなら、風門は、そういう人には適した稽古体系を持っていると思っている。
長々と書いたが、また一人茶帯を育てた。審査の組手を見ても、3級として恥ずかしくない内容だった。
来年、6月には1級。来年12月には、初段。
こうやって、一人、一人、茶帯を育て、黒帯を育て、その黒帯を三段正指導員に仕上げ、やがて、4段師範補。5段師範とするのが私の夢だ。
のべ、800人ほど教えたが、茶帯まで、もったのは、20人くらいだろうか?稽古が特段厳しいわけではないが、初段まで、通常最短でも3年かかる。その3年が続かないのが大半である。
今回は、コロナによる度々の休館にめげず取った茶帯であるから、心より千木丸氏を祝福したい。