日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門にとって、護身術とは何か?

風門にとって、護身術とは何か?
 
ネット全盛の時代。色々な凄い人たちの武道論や、護身術論を見かける。なるほどと思うこともあれば、そこは風門とは違うなと思うことも多々ある。
 
やはり、前提条件が違えば、自ずと結論も違ってくる。だから、解は無数にあるというのが風門の考える真理である。
 
まず、風門にとって、<護身術とは、生存術である。>と言うことを前提に我々は稽古している。風門館は、そもそも、週1回くらいの稽古が精一杯という、市井に暮らす凡夫のための護身修練の場として始まったのが原点である。
 
だから、元々、弱い人間のための効率的な護身技術とは何か。また、その修練法はいかにあるべきかを探求しながら、32年間やってきた経緯がある。
 
この時点で、勝ち負けに拘る格闘技や競技武道の人と考え方に齟齬が生じ、交流が出来なくなるということもあったし、逆に、競技を否定する形稽古のみの、武道とも交流できないという微妙な立ち位置にあって、なかなか、交流できる武道や団体を探すのに苦労するという現実とともに今日まで歩いてきた。
 
しかしながら、世の中には、風門の考えることを是とする人や団体も有り、おかげで、今日まで細々とではあるが、道灯りを灯し続けることができている。
 
そういう風門の考えを象徴しているのが仁駈丸氏である。冒頭の動画は、昨年の第6回風門祭において、防具着用のボクシングルールで執った変則鍛錬手合L3である。
 
突きのみフルコンタクト。競技ではないので、勝敗は宣言しないが、仁駈丸氏が不利なことは一目瞭然であろう。
 
仁駈丸氏。55歳。膝の手術をして、蹴り技が出せないどころか、フットワーク自体がままならない。対する千木丸氏は、現在日本拳法道5級だが、空手の経験有り。話しは前後するが、仁駈丸氏。武道のキャリアは、けっこうなものがある。武田流合気術初段補・福光流古術初段・柔道初段・フルコン空手経験有り・現在はボクシングジムに通っている。
 
私の門人になってから、もう10年ほどになるが、住所が小倉のため、現在、普段は、ボクシングジムに通っている。蹴り技が出来なくなっただけでなく、フットワークもままならないが、動ける間は、少しでも動きたいとボクシングをやりながら、時々、風門に稽古に来ている。
 
そういう事情を知っているだけに、頭が下がる思いがある。しかし、私は彼は正しいと思う。昔より弱くなっているが、生存術として考えれば、今は、ボクシングが彼にとってベストなことは言うまでも無い。
 
この生き様が、私の理想とするところなのである。この鍛錬手合の時も、千木丸氏には情けは無用だからと伝えてあった。だから、まったく手加減はしていない。千木丸氏も事情を知っているだけにやりにくかったと思うが、その点、風門は峻烈なところもある。
 
一旦、コートに上がった以上、ルールは遵守するが、逆に言えば、ルール内では一切の手加減は無用。仁駈丸氏も、だてに上がった訳ではない。近づいたら倒す気ムンムンだから、緊迫した立ち会いとなっている。
 
風門はゆるさを売りにしているが、遊び半分でやっているわけではない。武の厳しさを知った上で、無理なくやろうと言うだけで、妙な同情などはしないし、また、そういう同情を期待する人は、そもそもコートには上がらない。
 
足が不自由でも、仕事に追われ、生活で一杯一杯でも、万が一に備え、己の牙を磨く。そういう気構えが、私は、人として必要だと考えている。
 
護身など現実には、役に立たないと言われる。逃げるのが一番の護身と言われる。戦わなければ絶対不敗とかも聞く。どれも、正しいだろう。
 
しかし、役に立たないからしても無駄なら、万が一の際には、無抵抗で死ねと言うことになる。
 
逃げて済むなら逃げればいいが、家族を置いて逃げるのかと言われたらどうするのか?
 
戦いなど我々のような凡夫は、好まないことは当たり前だが、戦わなければ、死ぬとなったら戦うしかないのではないのか?
 
少なくとも無抵抗で死ぬのは嫌だ。1%でも、生き残る確立のために戦いたい。私は、そんな気持ちで稽古している。細々とではあるが。
 
己の出来る範囲で。風門に取って、<護身術とは、生存術である。>
 
万が一の際には、生きるために戦う。生き残るために戦う。家族を守るために戦う。自分が死んでも家族だけは逃がすために戦う。
 
最後は、古術の教えに戻る。それが、風門的な護身に対する考えである。