風門館 大人のための護身教室 日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 公式ブログ

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田貫の棒の手

www.youtube.com

 

https://www.youtube.com/watch?v=sce2dJygupQ

 

【動画の説明】 愛知県指定の無形民俗文化財である「田貫の棒の手」を完全映像化。その歴史的背景や研修会に向けての練習風景や祭礼の様子など見応えある映像で構成をしています。 【動画の特徴】 本編でのドキュメンタリーの他、棒の手の演目を全てマルチカメラで収録。演目の継承活動にも役立てられるよう企画されています。 【田貫の棒の手とは】 田貫町の棒の手は鎌田流である。天保年間(1830~1844)に石川伊兵衛、石川平三郎ら数名の武技愛好者が、現在の豊田市宮口にあった深田兵馬の鎌田流道場に入門し、奥義免許目録を授かったと言われている。鎌田流棒術は、「鎌田流皆伝録」によると、下段、中段、上段、薙刀の四種がある。 装束は、白鉢巻に白い下襦袢、白足袋、素襖小袴を模したものと考えられる黒い半袴を着るのが古式であった。現在は襟に鎌田流と染め抜いた白い衣に襷がけ、子どもは水色の祭礼用法被を着用している。 現在は、10月の第3日曜日(かつては15日)に行われる田貫町神明社祭礼のほか、西尾まつりなどにも依頼を受け棒の手を披露する。 (『文化財ナビ愛知』より) 制作:西尾市文化遺産地域活性化実行委員会 制作協力:株式会社モーション・ビジュアル・ジャパン

 

私は、古術の継承者であることを、隠して生きてきた。門外不出というのもあったが、<百姓の家守の芸>などと言っても、人は信用しないと思っていたからだ。

 

それが、30半ば頃から、何となく、信用できる人間には、話すようになった。それでも、反応がなさ過ぎて、むしろ肩透かしを食らった感じであった。

 

そのうち、武道関係者にも話すようになったが、その時の反応はすさまじかった。素人と違い武道経験者にとって、武道とは、江戸期の武家がするものと言う固定観念が強いのか。まず、<百姓が武術などするはずが無い>という反応がほとんどだった。

 

ネット上で、福光流が、<日本5大捏造流儀>の一つとして昇格してしまったのを見たときには、こちらが驚いたが、そもそも、私の身の回りで、福光流は、私が創作した捏造流儀だという人間の100%が、棒の手や、棒踊りの類いにつての知識が無かった。

 

その上で、<江戸期百姓が武術などするはずがない>という、いわゆる江戸期百姓貧農史観と闘い続けてきた。うちの流儀の捏造批判は仕方が無いと思っている。門外不出で、伝書などを幕末の豊長戦争の折に、11代目と12代目の政治思想の対立のため、全てを自ら燃やしたため、文書では証明が出来ないからだ。

 

しかし、<百姓の家守の芸>に、そもそも伝書・巻物の類いが必要なのかと言いたくなる気分もある。鎌倉古流福光派の信条は、<芸は使えてなんぼ>にある。

 

その点、私は、公式他流試合44戦の中で、実際に古術福光派が使えることを証明してきたし、また、組み技経験0の門人達に古術の組み討ち技法を教え、柔道二段・三段クラスと他流試合をさせても、困らせたことはない。

 

にしても、ネット上では、知識のすごい人たちが書いてるから、何か書くと、すぐに炎上するが、ネットから出て、一般の武道経験者に聞いてもらえば、私の言ってることは嘘では無いことが分かるだろう。

 

現代武道のうち、古流に近い、合気道でも、4段以下で、棒の手・棒踊りの存在を知っている人は皆無だった。そういう狭い知識しかないのに、<江戸期百姓が武術などするはずがない>と堂々と他人を批判し、また、自らの祖霊を貶める。そのことに腹が立つ。

 

江戸期。おおよそ、百姓が8割。現在、武道をしている人のほとんどの祖先は、江戸期百姓階級では無いのか?その自らの祖霊を貶めて良いものだろうか?戦後意図的に拡散された階級闘争としての貧農史観。それに、毒されて、江戸期の百姓を無様な存在とすることは、自らの祖霊を辱める行為だと私は思っている。

 

私も知っている世界は狭い。しかし、私の実際に知っている範囲で、元士族で、武道をやっているのは、秋月流の宮崎宗範のみだった。元士族であっても、武道も何もしていない元士族に、家柄自慢されてもどうなんだろうという気分になるだろう。

 

取りあえず、そういう経験はないが。

 

江戸期。百姓も芸法修練をしていた。この事実を私に、<俺は知っていたよ。>自慢はいいから、身の回りに伝えて欲しい。私もそのために活動している。