風門之儀2020。秋月流チャレンジ:「宮崎宗範55歳の青春」in大任町B&G。8月2日。
https://www.youtube.com/watch?v=Dz5w02c8Tig&feature=youtu.be
令和2年8月2日。日曜日。午前の部。晴れ。大任町B&G
行者:木霊丸氏・千手丸氏・常磐丸氏・K氏.
顧問:宮崎宗範
稽古内容 体術総合・得物護身。前半コース別。後半合同。
体術総合コース。
柔軟・基礎体・風門館当身拳法基本素振り12本
得物護身コース。
豊前福光派古術元手:変手勝二本目:叩初手・素首
1目:素首薙袈裟、2目:素首薙突、3目:素首薙柄
合同稽古。
風門館護身体術 打払・羽根受・舞之手
福光流古伝組討 甲羅返・腰車・鉢返
着胴蹴込み稽古受け返し稽古:左右直蹴・左右抜胴・飛膝3種。
鍛錬手合L2変形(着胴フルコンスタイル)常磐丸氏・K氏。1R
鍛錬手合L2 K氏・千手丸氏1R
鍛錬手合L3 千手丸氏・宮崎宗範1R。
千手丸氏合計11R
欲のないことがいいように言われるが、こと、武道に関しては、間違っていると思う。
私の経験上、武道に関して欲がない人間は、続かない。試合を引退しても継続して武道を続ける人間は何か欲があるものだ。特に、現役時代に何も欲のない人間が、競技武道を続けられるはずがない。
日本拳法道ルールは、防具を着けた総合ルールであるから、安全性に配慮はしているが、見た目以上にハードコンタクトであり、けっこう危険なルールだ。立ち関節もOKなために、一歩間違うと組み討ちのもつれから、肘を折るとか、肩を脱臼する。
また、受け身の出来ていない人間には、危険すぎて、試合そのものをさせられない。その中で、歯を食いしばって、試合に出る。昇段していく。根気力と自分の生活を節制できる人間しか成し遂げられない。
だから、簡単に続けられるような代物ではない。私は、この31年間で、のべ800人を教えたが、黒帯まで、到達したのが、わずか8人。その中で、現在、継続して稽古に来ているのが3人だから、道を歩くことの難儀さは、修験並みくらいあるのではないかと思っている。
いつも前置きが長いが、今日は、宮崎宗範のことについて書きたくなったから、書いている。
現在、55歳。現役相手に、いつもフルガチのスパーをこなす。まさに、驚異で有り、精進の賜だと思って、尊敬せざるを得ない。根っから殴り合いが好きなんだろうが、55歳で、ここまで、現役の競技者の相手が務まるというのは信じがたい思いである。
宗範が現役の頃は、殺気立っており、こういう人とは試合をやりたくないと思っていたのに、二度当たった。防具付きだったから、まだ、ましだったが、それでも、ほんとにやばい人だった。
その宗範も、自分の道場と仕事とどちらかを選択せざるを得ない状況となり、泣く泣く、秋月流の道場を閉じて、仕事のために、海外や東京などを転々としたそうだ。
ちなみに、宮崎宗範は、武道・格闘技でもほぼ、プロ並みだったのだが、本職の方でも才能があり、全国的にはその本職の世界の方が、名前が売れているかも知れない。
我々の若い時代。<トーナメント荒し。と言うのが、脚光を浴びた時期があった。その九州における第一人者が、宮崎宗範だった。防具があるとか無いとか。そういう問題では無く。競技と名の付くものなら、どこにでも顔を出し、ひたすら闘い続けた人である。
宮崎宗範の夢は、今の仕事が終わったら、故郷・筑後大井に戻り、もう一度、秋月流を復活させることだと言う。
指導者としてもプロを何人か育てた経験があるので、実現するだろう。
縁あって、豊前田川で仕事をしている間、風門に寄宿している訳であるが、宮崎宗範の壮大な旅の物語の途中で、風門の名前が出てくれば、これほど名誉なことは無い。
人は、みな「百代の過客」である。旅の途中で、足を止め、一服茶を喫する場所。峠の茶屋のような、存在でありたいと願いながら風門館はある。