風門館 大人のための護身教室 日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 公式ブログ

田川・筑豊・北九州・行橋  護身術・日本拳法道・グローブ空手・総合格闘技・総合武道 風門館HP http://www5.atwiki.jp/wotoko/

風門に取って武道とは何か?その3。<用・美・道>のうち<道>について。


WHAT IS 風門祭? 平成30年記念 第4回風門祭PV

 

https://www.youtube.com/watch?v=7O-0kQy7RpI

 

風門館では、「武道とは、日本伝来の武術技の錬磨・鍛錬を通して民族的人格を形成するひとつの優れた教育法である。」(養正館武道・望月稔師範)という定義に則り、武道修練の目的を士道精神涵養・大和心復興においている。風門館HPより

 

これは、私が到達した武道の定義である。格闘技・武術・武道のどこがどう違うのか?門中から質問を受けると、こう答えている。

 

ただし、私の見解を、門中に強要することは無い。考えは、それぞれあってよく、また、年齢や武道修練の経験値の段階から、同じ人間でも考えも変わるものだ。

 

<用・美>までは、風門の一門ともほぼ、その考え方を共有できていると思うが、この<道>の共有は一番難しいところだ。繰り返しになるが、この定義を門中に押しつけることもないし、私の見解として、問われればこう答えていると言うことである。

 

ここに至るまで、長い紆余曲折があったが、書くと長くなる。

 

簡潔に書く。私は、福光流古術をベースに長年武道の修練を地味に積んできた。その大半が、形稽古の流儀で有り、31で日本拳法道と出会うまで、徒手乱取り中心の武道経験は皆無に近かった。

 

20代までの私は、文化的に、古武道色の強い環境で育ったと言える。

 

31歳の春。日本拳法道に出会ってから、最初は無我夢中で乱取りに明け暮れた。その頃は、まだ、並行して合気道と沖縄小林流の稽古も行っていた頃で、特に、私の中で、武道・武術とか格闘技とかの違いないなど、気にもしない時期だった。

 

実は、日本拳法道連盟自体、格闘技色が強く、<道>を名乗りながら、文化的には、格闘技的な団体である。また、その交流も大会の形式・ルールの関係上、KB等との交流が盛んであり、稽古の際も、一般部は、道着を着ないどころか、キックパンツでもOKであり、古い我々の世代は、空手着で稽古するが、若い人間は、キックパンツにTシャツと言うのも年々増えていた頃だった。

 

初めの頃は、その事に関して、違和感など無かったのだが、何年か指導員をやっているうちに、私は、一体何をやりたいのだろうかと悩むようになってきた。

 

日本拳法道の大会に始まって、並行しながら、グローブ空手から、アマKB・真武館全日本と出る度に、ここは<俺の居場所では無い>と感じるようになっていた。こんな所まで来る気はなかった旅人の気分だったと言えるだろう。

 

鮭が、必ず故郷の川に戻るのと似ている。古術・剣道・空手・八光流・沖縄小林流合気会日本拳法道・グローブ空手・アマKB・真武館

 

最後の大会が、アマKBのリング。わずか、500gの減量地獄に苦しんで。とにかく、エントリーした以上。リングには上がる。それだけが、目標であり、指導員としてのささやかな矜恃だった。

 

試合の前に、1Kくらいの減量は簡単だと思っていたのが、まさかの減量地獄。それが、41歳の誕生日まで後、2週間という春うららかな季節のことであった。

 

延長・判定負けで試合を終えたとき、もう燃え尽きていた。リングを降りながら、この世界に戻ることは無いし、やはり畳の上が俺のいる場所だと思った。

 

武道・武術・格闘技。何がどう違うのか?俺は、何がしたいのか?合気道の師であるS先生にも何度も相談した。

 

その頃、ふと出会ったのが、望月師範の定義だった。

 

これなんだと思った。私がやりたい武道とは、この定義なんだと、即座に脊髄反射が起きた。

 

以来、これが、私の武道の定義として、人に問われれば答えるようになった。

 

しかしながら、何分、<道>となると見解が分かれる。私からすると、それは、武道では無く、武術なのではないかと言う人からコメントを頂いたりするが、私は、特段、人の考えを否定しているわけでは無い。

 

風門の見解。特に、この<道>に関しては、私の見解で有り、私はこう考えているということを述べているのである。

 

私は、人と議論をするのが苦手だ。なぜなら、考えの違う人と議論しても、私の考えは変わらないし、相手を変えたいとも思って無いし、また、変わるとも思っていない。

 

要するに時間の無駄なのである。では、なぜ、書いているのか?仲間を探すためである。私も合気系の経験が15年ほどあるが、望月先生の弟子でもないし、直接知っているわけでも無い。

 

ただ、一冊の本の中の、一つの定義によって救われた。

 

言葉は光なのだ。私の闇夜の中には、既に、同じ答えがあったのだと思う。しかし、照らされないから気がつかず五里霧中で彷徨っていた。

 

そこに、光が照らされて、世界が、いきなり開けた。そんな感じだった。

 

世の中には、必ず、似た考えの人間がいる。そういう仲間と繋がりたい。だから、発信している。

 

古術では、これを、<幟を立てる>と言う。また、<魂触れをする>と表現する。

 

風門館は、流派の垣根を越えて、日本拳法乱取り競技法で交流したい・交流できる仲間を募っている。個人でも。団体でも。ゆるいつながりなので、その名前を<九州武道連絡会議>としている。まさに、連絡のための、情報交換・組み手交流のための規約もないゆるいつながりである。

 

風門の新規入門者も常に探しているが、ゆるくつながれる個人・団体も探している。

 

この幟に、なるほどと思われましたら、ご連絡をください。