日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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チーム風門2019 名も無き侍なれども。一途に咲きたり。

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令和元年 出陣の儀。彦山駅前にて。

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令和元年 出陣の儀 九州豊前英彦山 かじか庵にて

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令和元年 出陣式儀 血盟の儀 英彦山かじか庵にて

風門は、浪人の吹きだまりに近い。しかし、それを恥じてはいない。むしろ、誇りに思っている。

 

秋月流柔術宮崎宗範:1990年代。九州の総合の先駆けで有り。当時流行したトーナメント荒しの先達者。元秋月藩士族。あの宮崎氏の末裔。

 

雷電流体術:雷電師範:中国拳法の研究家。甲野師範のセミナーでも研鑽を積み、人間の身体の開発などの研究を続けている。

 

福光雲母:日本五大捏造流儀として有名になった福光流16世守人・日本拳法道5段師範。風門館館長

 

福山千手丸:福光雲母の弟子。日本拳法道・福光派ともに三段。風門館唯一の理系

 

常磐丸:福光雲母の弟子。日本拳法道・福光派ともに初段。剣道2段。師とはタイプが違うが、文学好き。

 

私にとっては、日本拳法道福岡武道館大会前の出陣式は非常に重要な儀式である。

 

マスコミが、絆とか連帯とかを、お涙頂戴ストーリーで連発するから、言葉のインフレ状態で、<絆・仲間・チーム一丸・連帯>と言う言葉が逆に使いにくくなった。

 

それが、戦後日本的な情景だ。サムライもそう。あふれかえってる。

 

絆も連帯も、苦楽の時間をともにするから生まれる。言葉では無く、肉体の経験から初めてリアリティのある言葉となって発せられるべきのものである。

 

軽くなった。言葉が。だから、戦後的な日本の風景が嫌いだ。

 

我々5人は、生い立ちも違うし、考えも違う。にも関わらず、ともに行動しているのは、波長があうからだと思う。

 

では、何の波長かというと、ベースが古典的武道・武術が好き。あるいはそこがベースというのがある。しかし、格闘技的な世界にも出て行き、勝敗を超えて、試してみたいという思いが強い。

 

そこらあたりが共通点かなと思う。

 

格闘技とは、つき合えるが、そこには住めない。かといって、伝統的な武術や武道の世界からも越境してしまう。

 

まさしく、放浪者である。そして、戦後日本の誤った風潮。<今だけ・自分だけ・金だけ>のグローバリズムに反発している。

 

我々は、ローカルなんだと思う。古い・滅びてゆくものに関心がある。しかし、因循固陋も受け付けない。

 

だから、新しい場所を探して、日本拳法乱取り競技法と言うプラットホームにたどり着いたのでは無いか?

 

実のところは、よく分かっていない。ただ、一緒にいると心地よい。

 

それぞれの癖。考えを尊重しながら、自分を見失わない。それが理想では無いのか?

 

何もかも、ボーダレスにし、グローバリズムと言う一色のペンキに塗り立てられることを拒否する。

 

小は大の雛形である。チーム風門。吹きだまりだが、個々の文化には干渉しない。

 

我々は、無名で、あまりに小さな勢力だが、この世界の理想を示現していると確信している。