ますらをの かなしき命 積み重ね 積み重ねまもる 大和島根を
三井甲之 昭和2年。
もの悲しい歌だが、同時に荘厳でもある。物静かに、守るべきもののために、散華することを良しとする思想を、簡単に軍国主義と言うレッテルで封じ込めようとした、戦後の言語空間とは、いったい何であったのか?
民族の自由と独立・文化・伝統。自らの命と引き替えにしても、守るべきものがある。そういう祖国を持つことの幸せ。それを先人達は知っていたから、まさに、「ますらをの かなしき命を積み重ね 積み重ねして、この大和島根を守ってきたのだ」と思う。
我々は、ロシアのような農奴制国家では無かった。いにしえの昔より、百姓といえども、自由人なのである。
だからこそ、自分の意思で、祖国の自由と独立が脅かされるときに、それを守るために闘った。何でも無理強いの独裁国家で、玉砕突撃などあり得ないと考えるのが普通では無いか?
幕末ペリーによる、強圧的な砲艦外交から、無理矢理、帝国主義全盛の世界に放り出された日本人の悲壮なまでの覚悟が、この歌に凝縮されていると思う。その当時、民族の自由と独立を保つことが、いかに、難しかったことか。
少し、歴史をひもとけば誰でも分かることだろう。
今日の、現状から、過去を簡単に断罪すること自体が、歴史に対する無知と偏見と言えるのではないか?
誰も、戦争など好まないことは言うまでも無い。まして、日本人は、基本的に、温和で、争い事を好まない。しかし、それでも、民族の自由と独立・文化・歴史・伝統。そういうものが、他国の支配により蹂躙されると感じたならば、黙々と突貫するのだ。
この歌を、朗詠するときに、そういうことを考えてしまう。