風門館 大人のための護身教室 日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 公式ブログ

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鞍馬流棒術。そして、貧農史観という害毒について。


【公式】ULTRA HD ~西寒多神社秋季大祭 棒術奉納  大分


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https://www.youtube.com/watch?v=YhVdGAbiOuE&index=1&list=PLUfIIarWJMLvuGguMWC12PdYPrLSD-_6l

 
動画解説部分引用。
 
<鞍馬流棒術は、およそ400年前に大分市吉野地区に伝えられ、その後およそ100年前に犬飼町細口地区に伝えられました。
この棒術は、頭に毛頭をかぶり、刺し子道着に袴、脚絆にわらじを履いて、6尺3寸の樫の棒を操り演舞します。棒を操る他に、鎌や傘、鍋ぶた、しゃもじまでも武具として使用することから、身の回りにある物で身を守る庶民の実戦的な術であることがわかります。所作は、跳躍などダイナミックな立ちまわりが多くあり、演舞中のかけ声は大きく力強く、勇壮です。>
 
私は、古術者であると言うことを隠していた。その理由の一つが。百姓の家に芸法などが伝わるはずがないという世間一般の無知と偏見にさらされるのが嫌だったからだ。
 
しかし、50も近くなったときに、このまま、道統が消えるのも寂しいと思い、日本拳法道連盟風門同志会の最後の弟子であった木霊丸氏と千手丸氏の三人で、日本拳法道と福光流を教える現在の風門館を正式に発足した。
 
その際、私が過去学んだ空手や合気道仲間にも声をかけたが、案の定。そのうちの一人から、古術の話しをすると、一言で、江戸期に百姓が武芸などするはずがないと言われた。けっこう武道に詳しい人だったので、逆に衝撃的だった。
 
で、その御仁。尾張の棒の手や、日本各地に残る棒踊りなどのいわゆる<民俗武芸>に関しても、全く、存在自体知らず、尾張の棒の手なども証拠があるのかと言われた。
 
それを機に、私は、動画で、日本各地に残る<民俗武芸>の動画を見つけては、こうやって採集している。
 
くだんの御仁も、特別に無知なわけではない。むしろ、尾張の棒の手の存在などを知っている私が、極端なくらい、マニアックなのだ。
 
そういういきさつがあって、歴史なども暇暇に読んでいくうちに、なぜ、<江戸期の百姓が武芸などするはずがない。>と我々は普通に思うのかと言う遠因も分かるようになった。
 
それは、どういうことかと言うと、いわゆる<貧農史観>から来ているのだと言うことが分かってきたからだ。
 
マルクス主義にあっては、江戸期の百姓(庶民)は、極貧で無知蒙昧でなければならない。階級闘争史観からして、江戸期の百姓が、存外豊で、知的にもかなりのレベルであったと言う事実はねじ伏せなければならない。まさしく、帝政ロシア農奴と同じ存在でなければならない。明治政府が、当然、前時代を否定すべく働いたのと同じく、江戸期の百姓が、いかに貧しく・無知蒙昧であったか。この左右の歴史観が混ざり合って、映画やTVの時代劇で、江戸期の百姓は、無知蒙昧・臆病にして狡猾と言う悪いイメージがすり込まれていった。
 
そして、不思議なことに日本人の八割方が、間違いなく江戸期・百姓(庶民)であったにも関わらず、江戸期の百姓は、極貧で無知蒙昧と言う、<貧農史観>に捕らわれているのか?ここに、疑問を持たないように我々は、時代劇などを通して洗脳されてきたわけである。
 
以来、私は、江戸期の百姓の暮らしが書かれた本を読んだり、こういう<民俗武芸>の動画を採集しては、世間に知らしめる努力を続けている。
 
この、動画は、豊後大分市近辺のものらしいが、かなり芸法色を強く残している。かって、江戸期に、日本の農山村にこのような<民俗武芸>が、存在したと言うことを知ることは重要なことではないだろうか?
 
日本人の尚武の気質は、こうやって江戸時・鄙びた農山村でも芸法・神事・祭事、一体となって引き継がれてきた。
 
このことが日本の近代化に大きく貢献したのではないかと私は感じている。
 
自らの祖先が、農事の合間に、雄々しく棒を打ち合って、芸を磨いていた。これほど祖先の遺風を顕彰することがあるだろうか。
 
貴重な伝統精神を今も残している地域をうらやましいと思うと同時に、今後も、遺風が引き継がれるよう祈念する次第である。