日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門館は何を目指すのか?その2 凡夫のための護身の芸とは?

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風門館は何を目指すのか?その2 凡夫のための護身の芸とは?

 
風門館は、<護身・健身・修身>の三位一体を目指して活動している。
その中で、最優先が護身である。今年は、この護身をもう少し全面に出して活動したいと思っている。
 
護身と言っても解釈がまちまちであり、非常に難しいが、この解釈が違うから流派の違いとなるというのが風門の考えである。
 
我々、風門の護身というのは、前提条件として、週一回2時間くらいの稽古しか出来ない、市井に暮らす凡夫のためのというのが挙げられる。
 
要するに、私のような人間のための護身技の研究の場として、また、修練の場として設けている。
 
だから、競技も、護身修練の一環であって、競技そのものが目的ではない。
 
また、その求める水準も、社会人としての生活が最優先であり、その余暇で稽古するという前提であるから、達人になろうとか。プロの格闘家になろうとか言う人はそもそも無理である。今後も、そこはゆるがないというか、そもそも、そういう人間は、風門には縁がないだろう。
 
私は、私のような、非力で、平凡な、人間であっても、己一身の身を守り、家族を守るための護身をやりたい。そういう人間のための修練の場として風門を提供したいと思っている。
 
だから、技法は合理的で、いかに無駄なく、効率よく制するかという技術・修練システムを一貫して追求している。
 
日本拳法道を中心とした競技武道で、他流試合を行うのも、その成果の一端を試すためにある。
 
文字通り、風門に取って、他流試合とは、他流にどこまで我々の技術と修練システムが通用するのかを試す場で有り、研究の一環として行うという考え方のもと取り組んでいる。
 
従って、強要するつもりはないし、また、出たいという人間に出るなということもない。
 
その点が、日本拳法道連盟の素晴らしいところで、勝敗の如何に関わらず、試合を行うべしという考えだから、私も、30年の長きに渡って続いたのだと思う。
 
極端な話し。相撲の試合でも、出るなら、どんどん出て行けというのが、木立先生の考えだから、私も、全く、同感なのである。
 
ただ、形稽古だけでいいと言う人は、それでも良いと思っている。
 
護身というのは、今現在の日本の状況なら、天災にあう確率に等しいと思う。
 
無いと言えば、現実にあるし、あるかと言えば、大半は無関係で生涯終わる。
 
だから、武道が廃れていってるのではないだろうか?MMA・ブラジリアン・KBなどの普及・流行に食われていると面もあるが、根本的に必要性が無いと思われているのではないかと思う。
 
ある意味。平和の産物としての武道衰退なら、仕方ないと諦めも付く。
 
ただし、私、個人は、万が一のと言うことは常に考えている。だから、私と同じように万が一に備えたいという人のために、今後も活動していく。