https://www.youtube.com/watch?v=J18Imwy8bRg
私は、昔、私が古術者であることを隠していた。一応、一族相伝門外不出というのもあったが、一番大きな理由は、私どもような流儀が世に出ると、間違いなく。捏造流儀といて叩かれるからだ。
私は、古術以外にも、中学の剣道に始まり、空手2流派・合気道2派・八光流・日本拳法道と多くの武道を学んできた。
だから、捏造疑惑流儀の話しは、さんざん知ってるし、あえて火中の栗を拾う。馬鹿なまねなどする気は無かった。
しかし、年を取るにつれ、また、他流を学べば学ぶほど、古術の真価に気づき、やはり、なんとか後世に残せないものかという気持ちも強くなってきた。
そういう折りに、合気系武道の仲間に、古術の話しをしたところ、
<江戸時代に百姓が武道などするはずが無い>と一顧だにされなかったことに驚いた。
一般の素人が言うならまだしも、かりにも武道経験者にして、これかと思うと唖然とするしかなかった。
<武道=江戸時代の武家のもの。>確かに、一般的にはそうなのだが、新撰組の例をだすまでもなく。百姓も武芸を学んでいた。
ただ、そいう事を知っている人間が少ないのは、やはり、プロレタリア史観である。
<貧農史観>にゆるところが大きいと思う。
江戸期の百姓は、ロシアの農奴のような存在だったという、その刷り込みが、時代劇などを通して徹底されてきたので、江戸期の百姓=愚鈍で臆病な存在としてイメージされるのではないだろうか?
以降、私は、この歴史観と闘うべく、武家の流儀とは別に存在した。農山村に伝来したいわゆる<民俗武芸>の動画・資料を収集するようにった。その成果が、この<古術新紀行>である。
福光党の芸法を捏造と言うのはいい。芸以外に証す証拠もないから、仕方の無いことだ。しかし、<江戸期百姓が武芸をするはずがない>という妄言は正さなければならない。
江戸期。八割が百姓であった。現在の日本人の祖先の八割は間違いなく百姓だった。
その祖先をロシアの農奴の如く扱う<貧農史観>が、何故、戦後蔓延しているのか。その意図を砕くのも私の責務だと思っている。
日本総百姓の威徳を偲ぶために、豊前福光派古術は、闘っている。