以下<カクヨム?>から引用。
ここ十何年かほどのWeb上で「ねつ造だ」「歴史が怪しい」とよく書かれている現在伝承されている流派としては『天真正自源流』『北辰一刀流玄武館(およびその分派)』『肥前春日流』『豊前福光派古術』など、そして私もツイッターでフォローさせていただいている『天心流兵法』さんもよく話題になっています。
ある日、ツイッターを読んでいたら、え?と驚いた。福光派が捏造流儀と言われるのは、まあ、常識的に考えれば、そうやろうねち感じなので、特に、どうと言うことはないのだが、
『天真正自源流』『北辰一刀流玄武館(およびその分派)』『肥前春日流』
『天心流兵法』と並んで、福光流が堂々と登場。おいおい。恐れ多いやろち感じ。
上の流派の捏造云々については、私は知らないし、興味も無いが、けっこう大流派であることは間違いない。動画なども見たことがあるが、腕前もハイレベル。
ここに古術も並べられるのかと思うと、相当緊張するんですけど。
しかし、うちの流儀。どこでこんなに名前が売れてるのか疑問だ。
ネット上では、活発に活動してるからだろうか。知られずに滅ぶより、叩かれても福光の名を天下に知らしめて滅びたいと思った私の初志も、ある意味達成されたと思うと感無量ではある。
ほんと驚いた。
私は、他流の誹謗中傷などしたことはない。時々、炎上商法でも名前が売れればいいかとか、たまに思うことがあるが、そういうことをしなくても名前は売れるものだなと痛感して、ある意味安心した。
私が、ヤフブロに古術の記事を書き始めたのが、06年11月頃からのことであった。以来、約13年間。折に触れて、書き綴った成果が、ここにあると思うとやってきた甲斐があるというものだ。
また、世間の当流儀への捏造批判は、あって、当然だと思う。私だって、他人事なら疑う。
しかし、では、なぜ、捏造なら、13年間も書けるのか?一個人の創造なら、そこまで書く材料があるものか?また、古術の多様な技は、私が一代で創造できるものなのか?
しかも、我々、風門は、組み討ち・寝技に関しては古術福光派の技をもって、現代武道・格闘技と他流試合を積み重ね。それなりの結果も出している。
我々、古術者が捏造批判について、どうでもいいという態度を取るのも、古術の技は使えるという確信を持っているからである。
まあ、だから、逆に言えば、日本拳法道と併修している。競技武道の世界では、使えるか、どうかが大事なので、出自を問われることはない。
伝書・系図がない流儀は古武道としては認められないというのを著名な古武道家が書いていた。私自身は、古術は、日本古武道の一派という認識でいるが、古流の世界が認めないなら、それは、それで、構わない。
元々、古術は豊前福光党の家守の芸として受け継がれてきた。護身として使えるから現在も稽古している。
伝書・系図が大事な人は、権威ある流儀に行けば良いし、そういうのは気にしないという人は、風門で古術を学べば良い。それだけの話しである。
ちなみに、現在は、段位の認定もしているが、古術で何段と言っても、世間からはインチキと言われますよと断ってから発行しているが。要らないという人間はいない。
しかし、ほんと驚いた。古術もある意味有名にななったもんだと感慨深い。
特に並べられた流派はいずれも門人の多い、大流派の中に混ざってるから驚異だ。
取りあえず、知ってもらわないと話にならないので、名前が知られること自体喜ばしい。ただ、風門は、古術での門人募集は積極的に行っていない。
我々が、欲しいのは、日本拳法道の稽古生だ。新人。待ってる。