日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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初穂之御更衣縁起・平成29年10月第三回風門祭の折りに記す。

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初穂之御更衣縁起・平成29年10月第三回風門祭の折りに記す。
 
今般、10月8日に行われた第三回風門祭は、風門に取って、重要なイベントであるが、なぜ、<祭>なのかと言うことを知る人も少ない。
 
実は、古術福光派の<初穂之御更衣>に起源を発しているからである。
 
古術では、春分夏至秋分冬至・新年の年5回、御更衣と言う独特の武舞を行う風習があり、それの現代版が風門祭なのである。
 
そのうち、秋分の日に行うものを<初穂之御更衣>と呼んだ。それで、風門祭も秋分の日近くに設定している。
 
<初穂之御更衣>は、五穀豊穣を願う予祝の神事で有り、また祭事として、豊前福光党が独自に行う家伝の祭りであった。
 
江戸期までは、香春岳一の岳の山頂にあった山の神の神社境内で密かに行われていたと伝わっている。
 
明治以降、12代目が豊前香春を出奔したため、途切れていたが、先々代の幼い頃からは、香春岳一の岳尖り山と呼んでいる、福光党の稽古場で、習った手業の総復習の場として機能するようになり、私の中学時代までその風習が続いていた。ただ、私が高校の頃になると先代が山に入るのを嫌い、次第に里村の神社境内で行うようになった。
 
それが、とうとう今頃となっては、風門祭という形で執り行わないと消滅するという状況になり、現在のような形となっている訳である。
 
私としては複雑な思いもあるが、本来、滅んでしかるべき流儀が、形を変えながらも存続しているということ自体が奇跡的であり、こうして縁起を書けるだけでも幸せだと感じている。
 
正直、日本拳法道と言う、屋根を借りないと、古術は既に死滅していたのは間違いない。
 
今後も、風門は、日本拳法道と福光流の二本立てで行くつもりである。元々、古術は、乱稽古は相撲で取り、古術は形稽古で学ぶという非常に合理的な流儀だった。その相撲の部分を今様の日本拳法道に置き換えただけだから、古術自体の伝統はしぶとく生き残っているとも言える。
 
武家の流儀とは一線を画す、古術福光派のこの土俗的な、民俗的風習が私は非常に好きで、是非とも後世に残したい。五穀豊穣・天下泰平・家内安全・病気平癒を祈る、芸法・神事・祭事。三位一体の<荒振る・魂振る・気振る>武舞の祭り。
 
風門祭は、形は現代風とは言え、その精神は継承している。出来れば、酒・稲穂・塩などを上げたかったが、やはり他流の人の手前、やりにくところもあり、今年は写真を上げて、その代わりとするが、いつかは、神事の面もやりたいと考えている。