日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門之儀2018・出陣之儀

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2018・出陣の儀

以下平成30年11月11日福岡武道館 格闘フェスタ2018・第32回セイフティ格闘技選手権に際しての、出陣の儀について述べた文章。

 

風門館は、現在、私を入れて7名の小所帯である。しかし、仕事・家庭。それぞれが忙しい。

 
考えてみれば、もう、30年間近く、明日はつぶれてるのかなと思いながら、なんとか、一日一日をしのいで、今日まで命脈を保っている。
 
今年も、来る11月11日。我々日本拳法道連盟にとっての最大の大会、福岡武道館大会(格闘フェスタ2018・第32会セイフティ格闘技選手権)が、迫っている。
 
風門は、私のベースが、福光流古術と言う独特の流儀なので、文化的には、相当周りから理解に苦しむと言われる数々の文化をそこから持ち込んでいる。
 
その一つが、この<出陣之儀>である。これは、昔日、古術者の相伝最終行法。真剣手合10人取りに臨むに当たって、<鶴は1000年、亀は万年>という、長寿、即ち、勝負からの無事の帰還を祈る言祝ぎで有り、<スッポンは、一度食らいつくと雷が鳴るまで離さないという、そのしぶとさ>を頂くことで、勝負への執着心を捨てるなと言う願かけともなっている。
 
その風習を受け継いで、私が、現役の頃から、風門では、外部の大会に門中を送り出すとき、無事の生還と勝負への執着を祈願して、すっぽんを食すという奇習を未だに行っている。
 
ところが、今年、この<出陣之儀>に、3人しか出られないという、緊急事態に陥った。千手丸氏の無事の帰還と勝負への執着を祈願するのが本義であるから、二人でもやるつもりだったが、3人は、やはり寂しい。
 
それに、スッポンは、1匹。なんぼで料理するので、人が少なくても、私の出す分は変わらない。それで、いつも無理をお願いしてお世話になりっぱなしの雷電流の雷電師範を普段のお礼を兼ねて招待することにした。そして、元風門OBで何事かあるときは連絡を入れる合気道真風会代表のJ師範もともに招待することにした。
 
多忙の中なので、ダメ元だったが、幸い、両師範とも快く招待を受けてくれたので、私もほっとしているところである。
 
千手丸氏の晴れの出陣式である。少ないより多い方がいい。こういう時のために、今年も活動資金を得るために出稼ぎに行ってる。
 
親心というと押しつけがましいが、千手丸氏は、武道・格闘技未経験で、私の門下となり、既に、10年以上か?
 
手ずから育てた門中だから、当然、ひときわ可愛い。
 
大会歴も、もはや、堂々としたものだ。グローブ空手に2度。風門祭が、打撃・総合合わせて、6度。日本拳法道福岡武道館に今度が4度目。
 
のべ800教えた門下から、プロを二人出したが、アマで、ここまで、大会に出場したのは、彼が初めてだ。
 
私の公式トーナメント15本の記録も、もうすぐ抜かれるかも知れない。
 
今年で40。
 
私が引退したのが、41になる前2週間だったから、その現役年齢も抜かるかも知れない。タイトルもけっこう取ったので、福岡武道館に後2回チャレンジさせて、ちょうど42歳で引退させたい。
 
本人は、行けるところまで行くといっているが、いくら防具とは言え、あまり長く闘うと後々の後遺症などが心配になる。福岡武道館6度。現役で4段。
 
そこらあたりがいいのではないかと考えている。
 
安全性を担保するための防具付きとは言え、日本拳法道ルールは、けっこう荒い。
 
私は、いつも、将来の指導者を育てると言う目線で、技・修練システム・心構えの三位一体を伝授している。
 
故に、大会の出場回数にも拘る。一度や二度大会に出て、勝ったからといって、全部が分かるわけでは無い。競技が全てでは無いが、競技武道の指導者は、やはり、その競技の大会歴は必要だと思う。
 
一番は、選手の気持ちが分かると言うことと。競技の危険性。落とし穴を知ると言うことにある。
 
送り出しながら、矛盾しているが、逃げ惑うことを許さない。しかし、無事に帰還して欲しい。
 
この矛盾の中で、選手も指導者も闘っている。我々、草の根のアマと言うのは、そのくらいのレベルで闘っているのだが、その変わり、職場では一切の言い訳が通用しない。
 
武道だろうが格闘技だろうが、職場からすると、それは、あくまでも個人の趣味であって、その趣味で職場に穴を開けることなど許されない。
 
マチュア草の根は、アマチュア草の根なりに、厳しい環境の中で生活している。
 
たった、防具を付けた一試合・二試合のために、どれだけ、身を粉にして普段働き、血のにじむような思いをして、稽古時間を捻出せねばならないか。
 
仕事自体が厳しいのだ。今の時代。職業人として闘い、余暇をコートの上で他流と闘う。
 
なかなか。出来ることでは無い。だから、せめて、<出陣之儀>くらい、晴れがましくしてやりたい。
 
同じく、40歳の時に、4本のトーナメンに出て、果てしない量の仕事に追われながら、減量に泣きながら、今度は事故るかも知れないと怯えながら、それでも、コートにリングに上がった。私には、選手の思いが分かる。
 
武道は生き様である。殊に風門のような片田舎の小規模道場では、門中は家族同然になる。しかも、言葉通り痛みを分かち合える仲間同士である。
 
私が、千手丸氏を育てたように、いずれは、千手丸氏も門人を育てるだろう。
 
そして、還暦を迎えた頃。可愛い弟子の出陣の祝いに、人を集めるために、駆けずり回る。それも、ただの人ではない、痛みを分かち合える人。出陣の価値の分かる人を集めなければ意味が無い。それは、端から見れば、滑稽に見えるだろうが、私には、微笑ましい光景に映る。
 
私は、そういう風門の鄙びた伝統。情愛のある美しい一幅の絵を愛している。そして、その絵が床の間に<無窮(とこしえ)なるべし>を疑わない。