日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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森田童子を愛した頃・あるいは<僕たちの失敗>

 
森田童子を愛した頃・あるいは、<ぼくたちの失敗>
 
以下の文章は、10年前に書いたものに加筆したため、支離滅裂であるが、あえて残す。逆に言うと、私の考える<風門士道>の内実が分かって良いかも知れない。
そう考えている。
 
古術の本質は、教育法である。江戸期帰農した豊前福光党は、再起する日をひたすらに、待ちわびながら、その日に備えて、族人・族党が、堕落し、心まで卑しくなることを防ぐために、歴世、真剣手合い10人取りという相伝最終行法に拘り、多くの犠牲を払いながら、その孤高のプライドを守り続けた。

 

桜。美しい花だ。日本人は、この淡紅色の花の散りゆく花吹雪を愛し続けた。

 

それは、散り際の潔さを愛したのではないのだ。散ってゆく花の哀しみと、その散り方の美しさを愛したのだ。

 

サクラの語源は、サは小さい。クラは、坐の意味で、神の宿る依代のこと。

 

つまり、桜の花の花びら一枚一枚に、神が宿り散ってゆくのだ。しかし、散っていった者は、後に、<永遠不滅の士魂>を残していく。今よりも多くの<士魂>を生み出すために散っていくのだとも言える。

 

だからこそ、美しく散らなければならない。生き残れればなおいいことは、分かり切ったことだ。
しかし、どうあがいても、散ると分かれば、後はいかに美しく散るかを考える。
古術とは、一つの美学である。この美学を奉ずる一種の教養集団でもあるのだ。
その、美のために殉ずること。それを、尊ぶ。

 

負け戦と分かれば、さっさと撤退する。しかし、撤退もならぬなら、必ず一矢報い、前を向いて死ぬ。
それが、古術者の理想である。猪の如く突進し、山犬の如く遠吠え、桜の如くはかなく散る。

 

昨日から、門人仁駆丸氏が試合に出るということを聞いて以来。まず、私が教えなければならないのは、負ける覚悟と負け方の美学についてである。

 

ここらあたりが、他流とは違うだろう。古術は、闘うことを称して、荒事と呼ぶ。
「荒事すべきの時は、まずは負け戦の折の、処置のこと念頭におきてより、臨むべし。」南北朝以来、負け戦を続けてきた、福光党の荒事への考え方は、案外リアルなのである。


動画は、古術相伝最終行法。他流試合100本取り敢行中の私。40歳の時の映像。1998年。勇誠館アマキック・ワンマッチ戦。

 

ひどい不様な負け方ではあったが、これは、トーナメントではない。博多ベイプレイスにて、入場料を取る興業を行う計画があり、そのための選手選考会であった。
従って、アマチュアでも一定の成績以上の者を選んでのワンマッチ戦であった。この日。会場に着くと、私の相手はいなかった。私の相手は、当然フエザー級62K以下。私もフエザーで調整していた。

 

ところが、動画の相手はウエルター級。66k。そして彼の対戦相手も来ていなかった。

 

どうしますか?と聞かれた。一階級上ですけど。いいですよ。やりましょうと答えた。我ながらかっきい!と思った。しかし、身長を見てびびった。リーチが違いすぎるやんか。そして、ゴングと同時に、組んだ瞬間、その鍛え方が半端ではないのが、すぐ分かり。後は、美しく散ることだけ、考えながら闘った。いっそ、早く殺してくれよと云いたくなった。
 
カウントが入る度、立ち上がれる程度の喰らい方。古術特有の柳身を身に付けている私は、弱そうで案外と怪我をしないようにできている。相手も、今一歩決め手を欠いていたので、結果としてこういう作品が出来上がった。

 

あの8秒は、意外と長い、倒れる。意識が戻る。瞬間、体中の機能がかってにチェックされる。ほぼ、戦闘ロボットに近い。
そして、答が出る。機能回復。旦那はん。どうします?一応、各部署まだいけまっせ!
そして、私は考える。このまま、寝ていたら、楽だよね。取りあえず、闘ったし。でも、周りみんな見てるから、俺がまだ行けるって、ばればれよね。

 

年末の飲み会。あの指導員会議でいわれるんだろうな。若手連中から。先生、あの時、まだいけましたね。武士として恥ずかしくないんですか?見損ないました。先生だけは、本物の武士とだと信じてたのにとか。そうやって、プレッシャーかけて、みんなで牽制しあって、戦抜けする奴だせんようにするんよね。これが、日本的なムラ社会の伝統。

 

ああ、いっそ、このまま、寝ちゃおうかな?だって、痛すぎるんだもん。しく。しく。

 

指導員なんて辞めちゃってもいよ。別に先生とか云われんでも、田舎で、やっぱ、大根でも作とったほうが、よかわった。ほんと、なんで、俺、こんな年で、こんなことやってるんだろう。

 

しかも、場所悲惨やし。まるでタイの怪しげなジムみたいやんか。ぶつ。ぶつ。ぐち。ぐち。

 

書いていることの前半と後半があまりにも違いすぎるだろう。これが、私の実態である。

 

そして、よれた体で、体賭けた勝負事をやっている頃、なぜか、いつも聞いていたのが、森田童子。このとことん暗く気が滅入るような歌が、妙に臆病者なのに、勝負事をせざるを得なかった私にマッチした。

 

風門では、入門してから三ヶ月するとこの私の悲惨な動画を見せることにしている。それでも、ついてくる者と稽古したい。笑う者は去ってくれていい。
 
そして、私を笑う者は、プロの指導するジムに言っても長続きはしない。
 
私の、長年の経験で、そういうのを知っている。長続きしない人間に教えても時間の無駄なので、三ヶ月続いたらこれを見せる。
 
我々、アマチュアは、金を払って、試合に出る。金をもらって闘うプロとは、そこらへんが根本的に違う。
 
6000円払って、悲惨な目に遭い、しかも動画に撮られて、世界中にばらまかれる。
 
笑われる覚悟。痛い目に遭って、恥を晒す覚悟。要するに負ける覚悟がない人間は続かない。
  
地方レベルのアマチュア競技武道でも、それなりの厳しさが有る。その中で、他人ではなく己がどう振る舞えるのか?それを問うのが風門士道だと私は考えている。
 
ちなみに、PCで見るなら、上の動画を見て、この下の森田童子の歌をBGMで流してて欲しい。意外と味のある作品に仕上がると思う。お試しあれ。