日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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息吹く・あるいは<風魔>のこと

 

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息吹 鎌倉風流伝古芸福光派 07・10・30 豊前香春鏡山神社

古術では、立ち会うとき、裂帛の気勢を発する。相手を気圧するためと、自らを奮い立たせるためである。これを、<息吹く>という。

平生、穏やかな春風のように、暮らし。立つべき時には、<荒ぶる風魔>となって、地の果てまでも駆けめぐる。それが、古術の理想の人間像である。

古術にとって、芸法修練は、目的ではなく、手段である。

一個の独立した人格。一人の<武者>を育てるための教育法であり、修練法なのである。

陰陽和合して、春風ともなり、烈風ともなる、そういう人間を目指して、黙々と芸を練る。

写真提供 「おやじの魅力」のおやじさん。

http://blogs.yahoo.co.jp/yasu1233jp

 

福光派古術には、名前が多い。鎌倉古流・鎌倉古芸・鎌倉風流伝古芸・福光の手・豊前福光派古術。この名乗りには、それぞれ、謂われもあり、また理由もあるのだが。それについては、また後日語ることもあろう。

 

実は、上の引用部分。07年10月30日に、私が、ヤフーブログ「鎌倉古芸風門武芸帳」に書いたものだ。このカテゴリー<風門士情>の中で、再三、<荒ぶる風魔>と言う言葉を使っていることに気づかれただろうか?

 

福光派は、内輪では、自らを単に<古術者>と呼んでいた。と同時に、自らを<風魔>と称した。そこで、問題なのが、あの<風魔>と関係があるのか?あるいは、パクリなのか?それとも単なる偶然なのか?

 

当流儀に関しては、あの<風魔>とは、一切無関係だ。そこは、はっきりしている。では、なぜ、自らを<風魔>と称するのかというと、風が大きく関係している。今も、私が<風門>を名乗っているように、古術者は、風が好きなのである。

特に、高い山の峰や尾根道の上に吹く風を好む。そこらあたりの口伝や、また、口伝から得た私の推論など、多数あって、ここでは書き切れない。それについては、これから、機会ある度に、書いていく。

 

問題は、<風魔>だ。古術者は、平時でも乱時でも古術者だが、特に乱時。即ち、<荒事>の際には、<荒ぶる風魔>となって山野を地の果てまで駆け巡れという教えがある。一種のイメージトレーニングだと思う。

 

子供の頃から、そう聴かされ、また、具体的なイメージを持たせられると人間、染みこむものだ。

 

私の頭の中では、モノスゴク・リアル・に<荒ぶる風魔>が駆け抜ける姿を想像することが出来る。第一。この写真のこの顔。間違いなく<風魔>だ。

 

<息吹>という行法が、<風魔>を作るのだと今、この稿を書きながら気づいた。