身構える。
普段、あまりいい印象では無い言葉。しかし、この写真を見たとき、「身構える」も悪くないと感じた。
野戦の芸法を伝えると、枕詞のように、繰り返す福光流古術ではあるが、戦後生まれの我々に、そんな体験がある訳でもない。
ルールのある、競技武道の大会に出ることさえ、怖いと言うのも、実情である。
まして、平々凡人たる我々に、いざと言うとき、はたして、腰が抜けないのかどうか?常に疑問を持っている。
だからこそ、こういう、<身構える>時間も必要なのではないか?
<身構える>。その一瞬のみ、非日常に身を置く。武者とは?武士(もののふ)何か?を考え続ける。福光派古術とは、自分の臆病さを真っ直ぐに見続ける流儀でもある。