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古術相伝八代目:早矢太参之事

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古術相伝八代目は、早矢太さんである。

この人は、小柄にして、敏捷。山駆けを良くし、軽身の術、深奥に達し、当て身・取手・飛び手の名手なり。また、弓矢の術を好み、よく狩りをする。飛ぶ鳥さえも射落とす。とある。

 

ここで、問題なのが、弓矢の術である。古術芸法には、弓術は含まれていないし、伝承にも出てこない。唯一、この八代目早矢太さんの話にのみ出てくる。しかも、よく考えると、伝承者の名前とその人の得意とした術技がだいたいにおいて一致している。ここが、後の創作だろうと思われる由縁である。

 

あるいは、名前に合わせて、創作したのか、または、術技に合わせて、名前の方を変えたのか?それとも,、まったくの作り話なのか?時折、私は、そういうのを知りたいと思うこともあるが、まあ、とどのつまり、<家守の芸>に、伝承の真偽など不要と言う結論で終わる。

 

しかも、弓は手作りとあるから、手作りでそんなに、出来るものかどうか疑問に思うが。また、この早矢太さんは、飛び手の名手であったために、手作りの棒手裏剣も作成していたと伝えられている。それを、持って、ウサギ・雉などを良くとったと伝えられている。

 

私は、古術のこの<武者振り伝え>を聞いていると、何となく山岳狩猟民の匂いがぷんぷんしてきて、それこそが、実は古術芸法の起源なのではなかろうかと思えてくる。歴代、猪狩りや、兎・雉などを盛んに狩る様子が伝えられているからである。

 

食糧不足を解消することが重大事だったのだろうと思うが、その、狩りを正当化するために、鎌倉古風の<武者の道>を持ち出したのではないだろうか?
また、仏教色を排除するのも、やはり、狩りを正当化するための苦肉の策のような気がして成らない。

 

他にも、スッポンを食べる習慣なども、食糧不足解消の一環のような気がする。

また、門外不出を守るのも、狩りを好む以上、ある意味当然と言えば当然だろう。山駆けの行法とは、要するに狩りをするための、生活そのものであったのではないかと思う。半農半狩猟の民。これが、豊前福光党の正体ではないかなと、最近思うようになってきた。

 

独特の山岳信仰を持つのも、狩りをする民であれば、合点が行く。また、狩りをすることに対して否定的な仏教的価値観に反発する気持ちが、やがて、国学と結びついていったのではないかと思う。

 

また、この八代目の伝承には、豊前福光党5家と出てくる。その間の事情も、女子多く、男子少なし。

 

とあるが、食糧難で、子どもが生まれにくくなっていたか、あるいは、生まれても栄養不足で、早世する者が多かったのではないだろうか。

 

また、この頃から、一族相伝であったものが、だんだん、一族の中でも、律儀者だけに、伝えるという雰囲気が濃厚に出てくる。これは、やはり、7代目の犬斬りを、隠蔽するために、いよいよ秘密主義を取ったせいではないかと思う。

 

<守人、一代一人の定め、いよいよ以て、これ固く守るべきこと。律儀者ならず者、たとえ一族と言えども、福光の手伝えるべからず。また、継人においても、農事励まず、山駆け不得手なる者。また、酒色好みし者・博打いたすものなど、一切語らず。排すべし。>と

 

だんだん、条件が厳しくなっていく状況が伺われる。
また、<福光の手、一切、書きとどめることを禁ず。>と言うのも、この八代目武者振りで始めて登場する。

 

幕府と小笠原藩の、百姓弾圧の時勢が、いよいよ、古術を秘密主義・神秘主義へと向かわせたのではないかと私は思っている。もっとも、この見解は、ほとんど先代の見解の受け売りであるが。