日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門館。大人のための護身教室とは何か?田川郡福智町武道館。毎週日曜日。10:00~12:00。

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https://www.youtube.com/watch?v=rjhO-VpHdag&t=63s

 

私は、自分の護身実用のために稽古をしている。過去、色んな武道を学んだが、一般社会人の護身実用としては、日本拳法道と古術の組み合わせがベストだと確信して、両流併伝の風門館を発足したのが、今から、16年ほど前のことだ。

 

では、日本拳法道と古術を併修するとどうなるのかというと、警察の逮捕術に極めて近くなる。

 

私なりに、各種武道を学び、護身実用とはどれが最も効率よく、合理的なのかと模索した結果、辿り着いた結論が、逮捕術と似たものになったのというのは、ある種の必然では無いだろうか?

 

風門館では、基本、古術の募集は積極的にしていない。まず日本拳法道で人を集め、その中の有段者で、50歳以上の希望者に、古術の得物芸法を教えるというスタイルを取っている。

 

乱取りは、日本拳法道で、得物・護身は古術でと言うのが、風門館の基本スタイルである。

 

マススパーの動画ばかりupしているので、護身とはイメージが違うと言われることが多々あるが、あまり説明する気は無い。

 

私は、私自身の護身実用のために稽古しているので、本当は、ネットとかで、顔をさらしたくないのだが、一方、日本拳法道は、元来が競技武道であるため、人がいないと成立しないという事情があり、仕方なく、毎日、人集めに奔走している。

 

私が、護身実用について何を考えているのかは、二段以上にならないと教えない。そして、二段以上まで続いた者は、たいてい私の考えに納得する。

 

表は、日本拳法道、裏は福光流というのが、風門スタイルだ。

 

表は、世間におおぴらにだせるが、裏は、内輪の分かる段階に来た者だけが知ればよい。

 

徒手対得物の稽古もする。そしたら、たいていの人が、役に立ちますかと聞く。普通に考えて徒手対得物で役に立つはずがない。

 

しかし、体捌き・間合い・拍子などは役に立つ。

 

そこまで来た者に得物の使い方を教えれば、会得するのは早い。ただし、どう使うのかは、口伝を受けないと理解できないようになっている。

 

老いれば、当然、戦闘力は落ちる。それを素手体術でも、カバーできるのが、達人なんだろうが、週一回二時間の稽古が精一杯の普通のサラリーマンに、それができるだろうか?私には、とてもできるとは思えない。

 

だから、裏が必要となる。凡人は、何も武道の達人になる必要は無い。護身実用の場合。相手は、素人だ。どこかのチャンピンと戦うわけではない。ただ、相手が複数であったり、凶器を持っていることが怖い。そこがクリアー出来れば、生存率は上がる。

 

武器対等。正当防衛成立の一つの考え方だが、万が一の際には、過剰防衛を恐れるより、自分が、死ぬことを恐れると言うのが、私の考え方だ。

 

生き残るために、修練は続ける。それも、自分の出来る範囲で。昨今のあまりにも理不尽な強盗・殺人のニュースを聞く度に、古術を学んでいて良かったと心から、ご先祖様に感謝している。

義挙支援すべきの時のために。私が芸法修練を続ける理由。

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https://www.youtube.com/watch?v=WhTFMlz3qsY

 

http://www.gooujinja.or.jp/inosisi.html 以下引用  

 

和気清麻呂公と300頭のいのしし

奈良時代称徳天皇の御代のこと。弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧が法王となって絶大な権力を振るっていました。やがて道鏡は、天皇の位も奪おうと考え、「『道鏡天皇にすれば天下は平和に治まる』と宇佐八幡よりご神託(神様のお告げ)があった」と天皇にウソを言います。
 天皇は、ご神託が本当なのか迷いました。そこで、和気清麻呂公を呼び、九州の宇佐八幡へ行って確かめてくるよう命じました。清麻呂公は宇佐八幡へおもむき、ご神前に出て「真意をお教えください」と叫びました。すると、光り輝く宇佐の大神が現れ、「天皇の後継者には必ず皇族のものを立てなさい。道鏡のような無道の者は早く追放してしまいなさい」とご神託を下されました。

 清麻呂公は都へ戻り、大神のご神託を天皇に報告しました。野望をくじかれた道鏡は激しく怒り、清麻呂公の足の腱を切った上、大隅国(鹿児島県)への流罪(るざい)としてしまいます。さらには、大隅国へ向かう清麻呂公を襲わせるために刺客を放ちました。
 足の腱を切られ、立つことすらできなくなった清麻呂公ですが、皇室を守った大神に感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。そして、一行が豊前国(福岡県東部)に至ると、どこからか三百頭ものいのししが現れました。いのししたちは清麻呂公の輿(こし=乗り物)の周りを囲み、道鏡の刺客たちから守りながら、十里(約40km)の道のりを案内してくれたのです。清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えると、いのししたちはどこかへ去っていきました。不思議なことに、清麻呂公の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていました。

 

人が芸法修練を続ける理由は様々あるだろう。私も、理由・動機があって続けている。しかも、理由・動機は、一つでは無い。

 

その理由の一つが、上に引用したエピソードにある。

 

私は、芸法家の小説、例えば宮本武蔵とか、千葉周作の小説を読んでも、なるほどどとは思いながら、さほどのめり込めなかった。

 

つまり、私にとって、芸法とはあくまでも手段であって、目的ではないということだ。それよりも、幕末維新回天や戦国時代の武将・志士などに強烈な憧憬を抱くタイプだ。

 

無論、私ごときは英雄になれないのは承知している。しかし、例えば司馬遼太郎の小説に、ほんの一行登場する脇役のような人物がいる。その程度なら私でもなれるのではないか。そういう気持ちを未だに捨て切れていない。

 

特に、歴史上のエピソードで私が一番好きなのは、上に引用した、和気清麻呂公を助けた300頭のいのししの物語だ。

 

象徴であることは分かりきっている。いのししが300頭も揃って人を助けるはずがない。豊前の在地武士団、あるいは、在地の武装勢力が支援にあたったんだろう。

 

名前も残らず、ただいのししとしてのみ記されても悔いはないと思う。こういう無名の草莽が義挙を支援する物語に強烈なシンパシーを感じる。それが、私の体質だろう。

 

万が一の義挙の際、それを手助けしたい。その際には、当然武力が要る。後、2ヶ月で65歳となる。戦闘力は限りなく落ちているが、万が一の際に、己の命と引き替えても良いと思えるような義挙があれば、及ばずながら一身を投げ打ち、その手助けをしたい。

 

それが、私のロマンだ。夢想だ。日々刻々と人生の終焉へ向かって生きている現況。そのロマンにすがって生きているともいえる。

 

だから、未だに芸法修練を続けられる。苔の一念である。

 

多分、そういう夢想に取り付かれなければ、芸法修練などは、続けられるものではない。特に私のように芸が目的では無く、手段に過ぎない人間にとって、世間から笑われながらも続ける強烈な動機とは、己の人生の咲かせ方にあったからだ。

 

こういう話しを人にすると、頭がおかしいと思われる。だから、口にはしない。普段は、極普通の田舎暮らしの年金生活者として、平凡に生きている。

 

ただ、このブログを門人達は、たまに読んでいるらしい。門人でも、私の心情・動機に共感する人間はいない。

 

それで、良いのだ。芸法修練の目的・動機は人様々で有り、かつ、一人の人間にあっても複数の動機・理由があるだろう。それで、構わない。

 

ただ、私が、何故、半世以上、芸法修練を続けているのかという根本的な理由は、ここにあると言うことを記しておきたかった。

 

私の課題は、死ぬまでの残りの貴重な時間を、どう生きるかと言うことと、私という人間が生きた記録をどこか世間の片隅にでも残して置きたいという願望にある。

 

自分の人生には、概ね満足している。やりたかったことの大半は、やってみた。振り返っても、その点の後悔はない。

 

後は、死に方だけだ。そして、もしも、万が一、義挙があれば、己は英雄的な行動ができないのは分かっているが、せめて300頭の無名の草莽として死んでみたい。その夢想を思い描くだけで、生きるエネルギーがわいてくる。

 

万が一の<魂捨猪振る>の時のために、できる範囲で芸法修練を私は続けるだろう。

 

 

修身とは何か?<修身斉家治国平天下> 

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https://www.youtube.com/watch?v=cEMv4_bhHRU&t=3s

 

護身と言うと、個々の制敵事案・技法を指すことが多いが、私の考える護身は、もっと広い意味で使っている。

 

風門館は、<護身・健身・修身の三位一体を図る。>ことを目標として活動している団体である。

 

その中で、護身と健身はイメージが湧きやすいが、<修身とは?>と思う人が多数だ。道場では、あまり哲学的な話しをしないので、時々、こうやって、ブログに書くことで、私の目指す護身とは何かを伝えている。

 

私の言う、護身のうち、まず必要なのは、食うことである。<職は、食に通ずる。>と言う言葉があるが、食えない達人は、存在しても、意味が無いし、また、物理的に食えないなら、衰弱して護身技法どころの話しではないだろう。

 

だから、まず、職を確保し、食を確保すること。これが、護身の第一義だ。

 

食を確保したら、家族を養わなければならない。そのためには、修身が必要となる。

 

古術では、そのことを<家守の芸>と呼んだ。

 

現代人には、<家守の芸>という言葉が伝わらないので、仕方なく護身と言う言葉を使っていろいろと説明することになるが、武道修練の究極の目的は、<修身斉家>にあると私は考えている。

 

と言うよりも、修身が出来ていない人間は、武道を続けることが出来ない。だから、強い・弱い・上手い・下手とかいろいろあったとしても、長く続けている人は、

大抵、<修身>が出来ている。

 

私の武道界隈の暮らしも半世紀を越えたが、武道をする人間で、賭け事をする人間を見たことが無い。例外はあるだろうが、私の経験上は、無い。

 

<飲む・打つ・買う>と言われるが、<打つ>が、最悪だ、賭け事というのは、基本、儲からないように出来ているし、怖いのは、のめり込みやすいことだ。賭け事で借金をして、破綻した事例を誰でも身近に知っているだろう。

 

だから、私の言う、<修身>は、まず賭け事をしないことにある。道場に人を誘うときも、パチンコによくいく人などには、声をかけない。パチンコ好きで、貴重な休日に道場に来るような奇特な人はいない。いたとしても、関わりたくない。

 

家を守るための必須条件が、賭け事をしないことだ。

 

福光党は、江戸期、農耕用の子牛を肥育し、成牛として売ることで財をなした。

 

子牛をせるのだから、元来相場を張るが、だからこそ、逆に賭け事をする人間には、一切、後を継がせないという掟があった。

 

では、どうしたら、そういう駆け事好きを排除できるのか。実は、そのために、芸法修練があった。

 

子供の頃から、賭け事好きは、芸法修練を嫌うと言うのが、福光党の家伝である。

 

私の長い武道経験からも、当たっていると思う。

 

修身と言えば、他にも多くあるが、聖人君子を目指しているわけではないので、多少のことはあっても、週一回稽古に来れる。

 

そのことで、既に、修身がなっていると私は思う。特に、我々アマチュアは、本業が全てだ。武道稽古は、あくまでも趣味・道楽の類いだ。

 

しかし、自分の出来る範囲で、芸法修練を続けることは、修身が出来ていることの一つの証であることは間違いない。

 

己の生活を成り立たせ、家族を養い、日々里の行に励む。その経済的に独立した、自律的な個々人・家族の集合体が、国家を形成することで、治安の悪化を防ぐことが出来る。結果としての平天下は、砂粒のような個々人の修身から始まるのというのは真理だ。

 

冒頭の動画は、昨年の風門祭における千木丸初段の激闘を記録したものだが、やはり激しい。

 

この試合を49歳でやるためには、修身なくしては果たせない。

 

書物の上で、武士道を学ぶのは、容易だが、畳の上で学ぶのは、胆力と地道な稽古が必須である。

 

その地道な稽古を続けるためには、<修身>がなければならない。そして、芸法修練を長く続けていれば、やがて、最大の護身とは、治国にあることも理解できてくる。

 

従って、本を読み、<治国平天下>のためには、己に何が出来るのかを考えざるを得なくなる。

 

芸を練り、書を読み、思考し、行動する。その時点で、人は武士となる。私は、そう考えている。

 

風門館は、武芸者を作る道場では無い。それは、達人や名人がやることだ。

 

しかし、無名の草莽であっても、細石の一つとしてのサムライになることは出来る。

 

芸者を作るのではなくサムライを育てたい。それが、風門館運営の一つの動機である。

 

風門館事務局 0947・32・3550 代表福光まで。

 

チーム風門2023。乗り越えて。田川郡福智町武道館。1・22

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https://www.youtube.com/shorts/RaHdOcxrZsU

 

令和5年1月22日。日曜日。午前の部。晴れ。田川郡福智町武道館。

 

行者:千手丸氏・常磐丸氏・上羽丸氏。

 

稽古内容 体術護身・体術総合

 

回し蹴り・横蹴り・前蹴り 一人稽古法。

ミット打ち3種×60秒。

組み討ち撃ち込み稽古:負い車・膝付き背負い・大外刈り・腰車・横掛け横捨て身。

受け返し稽古 風門館基本7種×10

マススパー1分3R

鍛錬手合L2 上羽丸氏90秒2R・常磐丸氏2分1R*千手丸氏

鍛錬手合L4 2分1R 常磐丸氏*千手丸氏

 

この日は、元々参加予定が少なかったところ、前日に上羽丸氏から、参加の連絡があり、助かった。

 

ところが、当日、肝腎の千手丸氏の車の調子がおかしくて、欠席するとの連絡。しかも、常磐丸氏は遅刻。

 

ところが、幸い遅刻したから、そのまま、千手丸氏を向かえに行くことが出来、無事に4人で稽古することが出来た。

 

風門館のような、小規模道場の一番辛いところは、誰かが試合に出るとなるとスパーリングパートナーがいないこと。

 

護身だけが目的なら、そこまで、無理をして、スパーをする必要も無いが、試合に出るとなると話しは別だ。怪我を防ぐためには、当然、試合に出るに値するスパーをこなさなければならない。

 

平均年齢・49歳の風門館にとって、他流の大会に乗り込むのは、総力戦で臨まなければならない。ほぼ徴兵に近い。

 

年明けからは、私もマスだが、防具を着けて乱取り消耗戦に参加せざるを得なくなった。

 

64歳・51歳・36歳。三人で、順次戦線投入。

 

こうやって、苦労を乗り越え、涙ぐましい努力の末に、選手を送りこむから、みな、チームとしての絆も深まる。

 

TVで、安直に、絆とかの言葉を乱発するから、言葉のインフレが起きるが、言葉など、いくらあっても役に立たない。

 

防具を着けて、乱取りの相手をし、選手を支える。<連帯するなら、防具を着けろ。>それが一番ありがたい。

 

51歳の上羽丸氏も、L2で2R取った。また、最近、稽古によく来ているので、調子の戻ってきた常磐丸氏が、いいスパーリングパートナーの役目を果たしている。

 

来週は、私が、法事のために稽古に行けないが、頼める人には、みんな、頼んでいる。

 

スト2週前としては、納得のいく稽古内容だった。

 

追記。懸案のスッポンについて。サプリメントを千手丸氏が買うという今時の発想で、ここもクリアーした。稽古後、福智町武道館の前の自販機でお茶を飲みながら、簡略な出陣式も出来たので一安心。

 

昨年、風門祭で怪我人を出してしまったので、今年からは、風門祭前に、スッポンを食すよう計画する。

 

風門館事務局 0947・32・3550 代表福光まで。

 

 

 

風門チャレンジ2023 46歳・弦音丸5級。茶帯を目指す。田川郡福智町武道館。毎週日曜日。10:00~12:00。

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https://www.youtube.com/shorts/xx0iHfHW_lI

 

風門チャレンジ2023 46歳・弦音丸5級。茶帯を目指す。田川郡福智町武道館。毎週日曜日。10:00~12:00。

 

音丸5級の目標は、茶帯を目指すこと。妥当な目標である。

 

よく武道と格闘技のどこが違うのか?という質問を受けるが、一番の違いは、この段級制度にあるのではないだろうか?

 

ボクシングや、KB・MMAの場合。段級がないため、目標は大会で勝つことしかなくなる。

 

その点、武道の場合。段級という具体的な数値目標があるので、自分の成果を数字として確認しやすい。

 

私もKBジムに通った経験があるので、その経験からすると、試合目的では無く、健康目的だとしたら、何年も続けるモチベーションを見つけにくいのではないかと感じる。

 

段級に拘らないという人がいるが、そういう人で長続きしたのを見たことが無い。また、段級に拘らず、試合にも出ないとなると何を目指すのだろうと疑問に思ってしまう。

 

で、たいてい、1・2年で辞めていく。だから、私は、段級を取らない人間は信用しないことにしている。

 

音丸氏。45歳?くらいかで、しかも、未経験で入門したが、熱心に稽古しているので、茶帯として十分な力を付けてきている。

 

昨年は、46歳で風門祭・変手之部にも出場。公式戦を体験した。

 

まずは、茶帯を取得し、その後、今年の秋の風門祭にもチャレンジし、来年辺りの黒帯を目指す。

 

順調にいくと思う。

 

風門館事務局。0947・32・3550。代表福光まで。