日本拳法道連盟・豊前福光派古術連盟 風門館公式ブログ

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風門之儀2022。成長する。46歳からの挑戦・弦音丸5級・鍛錬手合L2。田川郡福智町武道館。7月24日。

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風門之儀2022。成長する。46歳からの挑戦・弦音丸5級・鍛錬手合L2。田川郡福智町武道館。7月24日。

 

時々、人から、なんで、金にもならない武道の指導なんかしてるんですか?と聞かれる。道楽ですからと適当に答えているが、

 

本当は、人の成長する姿を見るのが好きだからだと思う。

 

風門館は、<大人のための護身教室>を謳って活動しているから、当然、40歳以上の入門者が多い。

 

40歳以上・未経験の門人達を、怪我をさせず、無理をさせず、しかし、一方で現実の厳しさも教えていくというのは、人が思う以上に難事である。

 

また、若い人間なら、大会で勝つことを目標にすれば良いので、モチベーションの維持もそれほど難しくないが、40歳以上の人に大会出場を目標とさせることは安全性を考えると私には出来ない。

 

では、何を目標とすれば良いのか?

 

そこで段・級を取得するという目標を設定出来るから、武道は素晴らしいし、それが、先人達の知恵の結晶なんだろうと思う。

 

また、鼻歌まじりに稽古に来さえすれば、取れる段・級では、挑戦する気にもなれないだろうが、日本拳法道の場合、丁度よい具合になっている。

 

根気力があれば、誰でも週1・2時間、3年で初段を取れるが、その間には、そこそこの痛みに耐えなければならない。一般社会人にとって、誰でも越えられるハードルだが、誰でも越えられないハードルでもあるという絶妙な強度設定になっている。

 

年齢に関わらず、根気力があれば、誰でも越えられる。しかし、遊び半分で稽古に来ている人間には決して越えられない。謎々の世界が、日本拳法道の段・級取得にはある。

 

風門館は特に、ゆるい稽古を売りにしているので、稽古の95%は、楽しい稽古だが、段・級を取るためには、ラスト60秒2Rくらい、少し痛い目に合わなければならない。

 

それも、少しずつハードルが上がっていく。

 

音丸氏・46歳・未経験で入門。現在5級。12月には、3級茶帯昇級の審査が待っている。

 

茶帯の際の組手の強度は、打撃のみ完全打ち抜きのコンタクト・レベル3である。

 

そこへ昇っていくため、その前段階である、L2で現在取り始めたところだ。

 

風門館の場合。この鍛錬手合(一般でいう組手)のレベルを、0から7まで設定している。

 

だから、昇級すると同時に、より痛い目にあうレベルへと上がっていく。それを乗り越えていくこと自体が、一つの目標となり得るだろう。

 

鍛錬手合レベル2:防具着用・面当て止め・他フルコンタクト。打撃のみ。

 

この辺から、首から下はフルコンタクトになるため、稽古が終わる度にあざだらけになることが多い。

 

フルで蹴込んでくるローがいかに効くかを実感できる段階である。また、面も当て止めと言ってもKO狙いをするなという曖昧な程度なので、けっこう当たる。

 

たまに、ガツント来る。このガツンが嫌らしくて、辞めて行く人が多い。しかし、50歳以上は、基本寸止めにしているので、逆に言うと、40代の人にとっては、そのガツンを経験する最後の年齢ということになる。

 

こうやって、一人一人が、成長していくのを見ていると嬉しい。

 

その嬉しいというエネルギーが、道場運営を維持させるのだろう。

 

風門館事務局。0947・32・3550。代表福光まで。

 

魔坂の日。一般市民にできる散弾銃テロ対策。がぶるしか思いつかない。田川郡福智町武道館。2022・7・24

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魔坂の日。一般市民にできる散弾銃テロ対策。がぶるしか思いつかない。田川郡福智町武道館。2022・7・24

 

安倍総理が撃たれてから、まだ、わずかしかたっていないが、日々の時間の流れの中で、あの日の<魔坂>は、現実だったんだろうかと思えるほど、世の中は、平穏である。

 

しかし、今後も、魔坂は、起こり得るかも知れない。

 

風門館の護身実用とは、市街地における、防犯の意味合いで使っているので、想定しているのは、徒手徒手の単数・複数、武器で襲われるとして、包丁・ナイフ・金属バットの類いである。

 

無論、銃などは、想定外である。しかし、今回の銃撃テロは、選挙の遊説中を散弾銃で狙うという無差別テロに他ならない。

 

相変わらず、日本のマスコミは、論点ずらしにやっきなようであるが、私は、散弾銃が使われたことに衝撃を受けた。

 

選挙の遊説中・散弾銃によるテロ。

 

これは、いつ誰が、巻き添えで死亡してもおかしくない、由々しき事態である。

 

犯人の動機などは、警察の仕事だとして、銃器による暗殺に我々が巻き込まれた場合。どう対処すれば良いのか。風門館には、そのようなノウハウは全くない。

 

しかし、今回、一発目と二発目の間に、3秒の時間があったということに私は注目している。

 

即ち、初弾で死ななかった場合。伏せることで生き延びる可能性は高くなる。

 

伏せる・匍匐前進・ジグザグに走る・サイドスッテプで位置をずらす。物陰に逃げ込む。

 

凡人に出来るのは、この程度だろう。

 

風門館では、殺傷事件が起きた場合。状況・動機・得物の種類・人数など、マスコミで公開された情報を元に、対処法を考え、同じ手業を三度稽古する。

 

3回くらいで役に立つのかと言われてしまえば、それまでなのだが、一年中、人に刺された場合の訓練をする凡人はいない。いくら護身教室を謳って活動していても、警察官や自衛官ではないのだから、そのような稽古を続けること自体、無理があり、結局、誰も来なくなってしまっては、本末転倒となる。

 

それで、護身実用の手業は、三度と決めている。しかし、普段、日本拳法道をやっていれば、護身用の手業の習得は早い。特に風門の場合、組討・掻取は、鎌倉古流の手業を主に使用するので、対刃物なども、術理は同じ場合が多く、何もやっていない素人とは比べものにならないのは当然のことである。

 

今回の、散弾銃対策も、タックル対策でやっている<がぶり>だから、誰も違和感なくやれる。匍匐前進も、近いことをやっているので、特別の訓練というわけでは無い。また、斜線に走るのは、古術の小走りを使うので、これも、古い門人にとっては、慣れたものである。

 

問題は、それが役に立つかどうかだが、専門家の見解なども研究しながら、<魔坂の日>に備えるしか無いだろう。

 

それにしても、このような事件が起きるとは、頭の隅にも無かった。これが、現実は、人の想像をはるかに越えると言うことなのだろう。

 

こうやって、つきつめていくと個人の護身とは、最終的には、治国平天下にあるということに行き着く。

 

芸法家は、己個人の芸を極めることに熱心だが、いくら極めても、乱世になれば、一個人の力量などはたかが知れている。

 

だから、古術者は、最後は政治的にならざるを得なかった。五穀豊穣・天下泰平こそが、己一身と族人・族党を守る最大の護身だという事実は、今も昔も変わらないからだ。

豊前福光派古術得物第一法・元手:脇勝:1本目:刺:変化:糸引

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https://www.youtube.com/watch?v=tlOkZZ8nn20

 

豊前福光派古術得物第一法・元手:脇勝:1本目:刺:変化:糸引

 

脇勝とは、初伝であり、まず、受ける、かわすを学ぶ。

 

その1本目の刺しは、(ちなみに古術では送り仮名を付けないという風習がある。)相打ちの覚悟を教える形だと述べてきた。

 

もちろん、最初の一手というのは、その流儀の根幹思想を示すことが多いので、族人・族党を守るためには、刺し違える覚悟。一人一殺の覚悟を徹底的に教え込む必要性が、江戸期まではあったと言うことだろう。

 

武家が、腹を切ることを子供の頃から執拗に教えられ育つように、古術者は、万が一の際には、必ず一人道連れにする覚悟を教育されるのである。

 

そういう教えが、今の時代に必要かどうかは、私の判断するところではない。ただ、古術とはそういう流儀だったとしか言いようが無い。

 

その覚悟と同時に、この1本目から、前後の体捌きを重視している点が、特徴なのでは無いだろうか?一方で、相打ちを教え、一方で前後の敵への対処を教える。

 

矛盾しているようだが、それが、古術の陰陽(おんみょう)思想である。

 

陰と陽の中間では無く、陰も陽も両極を認め、その両極があることこそがこの世の実相であると考える古術思想の典型が、既にこの1本目に示されているのだと考えると思想的によくできた形だと感心してしまう。

 

初手で平腰による前後、真名手で落とし腰による前後、最後の変化。この糸引きでは、

右構えのまま、背後に振り向く訓練を積む。

 

要するに、野戦白兵戦を前提として、まず、背後に振り向いてもバランスを崩さない体捌きを徹底することが狙いなのだ。

 

太刀を持って、稽古すると分かるが、背後への振り返りは、けっこうバランスを崩しやすい。

 

近代古術は、幕末から明治10年の西南戦争まで、銃砲火の中をくぐり抜けながらの野戦白兵戦を体験した上で構築されている。

 

その中で生き残るためには、徹底的に転ばないことが重要だった。転ぶとは死ぬこととと同義であったのだろう。駈け斬りを得意とする古術に於いては、どんな状態でも転ばないことを重視している。

 

ちなみに、大東亜の時、福光党からは、二人、歩兵として南方戦線に出征し、偶然なのか、あるいは、古術の初歩的な手ほどきを受けたせいなのか。二人とも無傷で帰還している。

 

昔から、古術者は戦では死なないと言われてきたそうだが、先の大戦でも、出征者二人で、100%帰還しているから、偶然と言えば、それまでだし、何かあると言えば何かあるのではないかと思ってしまう。

 

私が、古術を信じている一つの数字的根拠でもある。

 

付記すると、その二人は、古術者の中でも、初歩的な段階。他流で言えば切り紙程度で終わっている人間なので、先々代から言わせると、ああいうのは、古術者の中には入れない。継人でもなかったと非常に軽侮していた。身内故に、名を汚すことが許されなかったのだろう。

 

最後になるが、糸引きの名の由来について述べておこう。

 

剣先から糸を引くように、すっと半回転して後方を向く。この時、右構えのまま、半回転するのが特徴だ。回転後即座に後方を斬る。

 

当たり前の話しだが、私には、日本刀による実戦体験などない。従って、このような手業が、果たして実戦で有効なのかどうか検証のしようがない。

 

ただ、私は、日本拳法道を始めとする各種ルールで公式戦を44戦闘い、道場デスマッチは、その倍以上闘っている。

 

その現場を見た人、あるいは対戦相手から、バランスが悪そうで、バランスが崩れないから不思議だとよく言われた。

 

確かに、私は、体術とは言え、当て身・組み討ち・固めありのぐちゃぐちゃした乱取りの中にあって、バランスを思ったより崩さなかった。その要因は、古術の得物芸法の形稽古で培った体捌き・歩法の影響が大きかったような気がする。

 

古術は、私の代で終わる可能性が高いが、備中・備前の理解者のおかげで、こうやってたまに稽古が出来るだけでも幸せである。

 

体が動く限り稽古したいものだと祖霊に感謝しながら、日々を過ごしている。

 

鎌倉古流豊前伝福光派古術。第16世守人 福光三郎左衛門進 拝。

 

 

 

 

風門館徒然。豊前福光派古術。拍子取。背後両羽根・背後下羽根。田川郡福智町武道館。2022・7・24。

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https://www.youtube.com/shorts/0EZ_znPmGQg

 

令和4年。7月24日。午前の部。晴れ。田川郡福智町武道館。

行者:千手丸氏・千木丸氏・八咫丸氏・弦音丸氏・上羽丸氏。トライアル2名。

 

稽古内容:体術総合・体術護身。

対銃撃用・護身:立て伏せ・匍匐前進・小走り。

豊前福光派古術素手第2法・取手・変化・拍子取・背後両羽根・背後下羽根。

風門館当身拳法基本素振り12ヶ条。1本目~6本目。風神波

日本拳法道連盟制定形。横受けの形・差し受けの形。

受返稽古。8種×90秒。

有級以上とトライアルコースで遠当。60秒×2R

 

鍛錬手合L3.5 千手丸氏VS八咫丸氏。1分1R

鍛錬手合L2 千手丸氏VS千木丸氏・弦音丸氏。1分1R 

撃込稽古・サンドバック。雷神波10本。15秒1R

 

千手丸氏。60秒×20R。

 

風門館は、<護身・健身・修身の三位一体を図る。>ことを目指して稽古している。

 

つまり、それが修練の目的であり、芸法は、そのための手段である。風門館では、数ある芸法の内、私が学んだ日本拳法道と豊前福光派古術を併修することで、その目的を果たそうという団体である。

 

徒手総合武道である、日本拳法道は、非常に優れた乱取り競技法と打撃技術のエッセンスを凝縮した日本拳法道形を持ち、打撃に関しては、日本拳法道をやっていればまず間違いないと私は考えている。

 

しかし、元々、競技武道であるから、対刃物などを想定した直接的な技法が無い。そこで、そういう部分については、総合武芸である鎌倉古流福光派を併修することで、補っている。そこが風門館の最大の特色である。

 

風門館における芸法修練の第一目的は、<護身>にある。これは、<狭義>の防犯の意味として使っている。

 

普段は、日本拳法道を中心に稽古しているが、刃物による殺傷事件が起きた場合。前半の1時間を、護身用の手業の稽古とし、同じ手業は、三度必ず手習いさせる。それを繰り返しながら、日本拳法道と共に鎌倉古流福光派も学んでいく形を取っている。

 

先日、当ブログに、既に書いたが、安倍首相の暗殺、そういう非常時における稽古をしていた先週の日曜日、博多の夢タウンで、通り魔によって背後から刃物で切りつけられるという事件が発生していた。

 

<安全と水と空気はただ。>と言われた日本の治安状況も、最早、お伽噺と化しているのかも知れない。

 

そういう、昨今の緊急事態を受けて、本日も、散弾銃による乱射から身を守る訓練。背後から切りつけられた場合の手業を稽古した。

 

我々が、こういう稽古を頻繁に行わなければならないと言うことがそのまま日本の治安状況の悪化を示しているということになるだろう。

 

さて、背後の説明に移ろう。

 

これは、後ろから刃物で斬られる、刺されることを想定した手業だが、果たして使えるのか、私自身も経験が無いから、何とも言えない。

 

門人からも、こういう手業が本当に使えるのかという問が発せられるが、使えますと言えるのは、使ったことのある人にしか言えないだろう。

 

だから、問題は、使えないとしたらどうするのかと言うことに尽きる。背後から刺された、あるいは斬られた経験があり、その際に、有効だった手業があれば、私は古術に頓着しない。即座に乗り換えるだろう。

 

しかし、そういう手業があるのかどうかも知らないから、自分の知っている手業を研磨しているのだ。

 

また、こういう護身で重要なのは、考え方だ。使えるかどうか疑問だから、錬磨しないという人は、万が一、自分が背後から刺されたり、斬られたときには、あっさり死ぬことを選択するということになる。

 

私は違う。使えるかどうかやってみないと分からないが、少なくともやらないよりは、やっていた方が、生き残る確率は高いと感じているから、稽古しているのだ。

 

私が、この年まで、武道の稽古を続けているのは、万が一の際に、一分でも生き残る可能性があるなら、それに賭けたいからである。

 

何も手業の錬磨をしないということは、運に任せるということだ。あるいは、無法者に自分の生死の決定権を委ねると言うことだ。

 

そういう生き方を私はしたくない。生きるための選択を私は迷わず選ぶ。相手に決定権を委ねるなどという生き方をしたくない。自分のことは自分で決めたい。これが、私の人生哲学である。

 

そこまで深刻に考えなくてもという人もいる。人それぞれに考え方があるから、私は、人がどう考えようと干渉する気はないし、同時に、私の考えに干渉される気も無い。

 

私が、風門館を運営している根本理由は、私の稽古場を失いたくないからだ。武道・格闘技は色々あるが、護身実用と競技武道の両方を併修できる場所は案外と少ない。

 

普段は、日本拳法道を主として稽古し、事件のある度に、護身用の手業の稽古が出来る。こういう場は、案外と少ない。

 

競技用なら競技用。護身用なら護身用とはっきり区別されているところが多数だから、自分のやりたいように出来る風門館を作ったという側面もある。

 

護身用の手業など稽古しなくて良いのが、一番なのだが、戦後も70数年。乱時が起こり得るかも知れないと感じるのは私だけだろうか?

 

魔坂が、起きても生き延びるためにあがく。そのための手段として、私は芸法修練を続けている。この不安感が、杞憂で終わることを祈りながら。

 

風門館事務局。0947・32・3550。代表福光まで。

逃げてくださいでは済まない事案発生。夢タウン博多・背後から首を切りつけられる。7月17日。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bc0eac7db6bb80c5ed24f9155dbafb7a498322a5

 

テレビ西日本

 

安倍総理が銃殺されるという、大事件があった後、17日には、福岡で、上の記事のような事件が起きた。

 

世も末である。背後からいきなり切りつけ、理由が、人を殺して死刑になりたかった。しかも、この女は、小学生の首を締めて殺そうとした前科がある。

 

こういう、狂った人間が、街中をうろついてるのかと思うと、ぞっとする。

 

また、こういう犯罪があったときに、誰でも良かったとかいう供述があるが、嘘である。狙われるのは、女・子供・年寄りである。

 

つまり、こういう犯罪者は、反撃しない人間を狙ってくる。根が卑怯だからだ。

 

こういう事件が起きると、逃げてくださいと盛んに、武道とかの専門家でも書くが、今回、そういうコメントを見かけない。

 

なぜなら、斬られた中学生の父親が、果敢に、女を確保したからだ。

 

自分の息子が、切りつけられた時に、もし、父親が逃げたら、この一家は崩壊するだろう。つまり、常々、私が主張しているように、逃げてくださいで済むのは、若い足の速いオスの特権なのである。

 

家族連れは、万が一の際には、逃げることが許されない。だから、武芸が必要となるのだ。

 

いつでも、逃げて済むなら、武芸など必要ない。陸上で走っていることが一番合理的である。

 

我々、風門館の護身とは、万が一の犯罪に遭遇した場合。家族と自分自身の命を守ることを想定して、その言葉を使っている。

 

それには、術が必要なのだ。

 

逃げてくださいというのは、都会の単身オスにとっての合理的な行動であって、家族持ちにとって、逃げるという選択肢は限りなく低い。むしろ、家族を逃がすために、犯罪者の的となる覚悟が必要になる。

 

だから、芸がいるのだ。

 

江戸期、百姓は逃げることが出来なかった。先祖伝来の田・畑・山林。それを捨てて逃げることは、餓死することを意味したからだ。

 

だから、一所懸命の思想は、江戸期の官僚化した武家階級より、田舎の土地持ち百姓の方に受け継がれた。

 

家族を守るためには、その場所の一点を守らなければならないことも起こり得る。現代の一所懸命は、その場から、家族を逃がし、自分が的となることに尽きる。警察が来るまで、何とか家族を逃がす時間を稼ぎ、自分も極力死なない。

 

あくまでも、警察が来るまでの、時間を稼ぐ。

 

よく、生兵法は怪我の元と言うが、家族が殺される現場で、必要なのは、そういう評論家的な見解では無い。

 

今回、父親が勇敢に戦ったから、中学生は軽い怪我ですんだようだが、父親が逃げていたら、この中学生は死んでいるかも知れない。

 

また、こういう狂った動機ゆえに、犯人は心神喪失とかで、罪に問われることが無いのが、今の日本の現実だ。

 

殺され損になるだけだ。

 

銃によるテロ。見も知らない女が、いきなり背後から切りつけてくる。

 

遠い世界の話しでは無い。夢タウン博多と言えば、我々の地元である。

 

私の行く夢タウンでも、いつこういう事件が、いつ起きるかの分からない時代となった。その覚悟だけはしておかなければならない。

 

しかも。私が夢タウンなどに行くときは、たいてい孫を連れている。私は、万が一の際には、孫を守るためであれば、過剰防衛など気にしない。

 

今週日曜日から、背後の稽古をする予定だ。

九州武道連絡会議・合同稽古会inタフス道場。百聞は一見に如かず。アナコンダ殺法の餌食となる。糟屋郡久山町。2022・7・3。

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https://www.youtube.com/shorts/rTvJTrSpukA

 

九州武道連絡会議・合同稽古会inタフス道場。百聞は一見に如かず。アナコンダ殺法の餌食となる。糟屋郡久山町。2022・7・3。

 

日本拳法道ルールの寝技10秒について、けっこう疑問に思う人が多い。特に、寝技系の人からすると10秒制限では、極めきれないという不満を聞くことが多い。

 

しかし、それは、本末転倒であろう。立ち技の人間に10秒間で極めきれなかったら、その程度の寝技ということになるのではないだろうか?

 

また、逆に寝技中心のブラジリアンに打撃が無いのはおかしいと言う不満を我々に述べる権利があるだろうか?

 

ブラジリアンには、ブラジリアンの考えがあって、寝技中心のルールとなっているのだから、不満のあるルールには出なければいいだけの話しだ。

 

寝技10秒は、立ち技出身者のために考案されたルールだ。たかが10秒。されど10秒。寝技の怖さ。たった10秒の寝技が出来ないと勝てない現実。それを戒めるための10秒だと考えればよい。

 

もし、日本拳法道ルールから、寝技10秒を無くしたら、それは、もう日本拳法道では無い、別の武道か格闘技になるだろう。

 

立ち技だけやっていても勝てないから稽古する。ルールが技術を伸ばすということを宗家から聞いた時は、そんなものかと思っていたが、最近、この寝技10秒の分かりやすい世界が、絶対に必要だと思った。

 

立ち技出身者は、実際に転がされ、絞められて初めて寝技の怖さを知る。ルール上、寝技10秒がなければ、どうしても打撃だけの稽古になりがちだ。

 

となると、それは、もう防具を付けたKBでしかない。打撃6・投げ3・寝技1。この絶妙な配分が日本拳法道の最大の特色だと言える。

 

今回の合同稽古会に参加した風門勢の二人は、打撃出身だから、打撃に関しては、そこそこの実力を持っているのだが、寝技経験0だから、そもそも寝技の怖さそのものが分かっていない。

 

<百聞は一見に如かず>という。何事も体験することで違った世界を知ることになる。

 

もちろん、安全性に配慮しながら、年齢・経験値の許す限り、ぎりぎりのところまで、体験させる。

 

最初は、無様な絵が残るが、それを踏み越え、稽古しつづけるとやがて、一人前の日本拳法道らしいスタイルの黒帯が出来上がる。

 

風門館は、負けることは恐れない。怖いのは、入院するような怪我である。それが理由で失職したり、あるいは、それがきっかけで武道を辞めて行くことを恐れている。

 

怪我を防ぎつつ、ぎりぎりの線まで、<覗かせる>。

 

そこが、行としての武道の難しいところだと私は考えている。

 

風門館事務局。0947・32・3550。代表福光まで。

風門館Q&A。トライアルコースって何ですか? A:3ヶ月間。12回のお試しコースのことです。登録制になっています。

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風門館Q&A。トライアルコースって何ですか? A:3ヶ月間。12回のお試しコースのことです。

 

風門館への入会の手続きの流れを説明すると。

 

見学or無料体験入門→トライアルコース(3ヶ月間・12回)→入会(3ヶ月間・12回)→体験入門から半年後(24回)昇級審査受験→正式入門。となります。

 

見学、もしくは、体験入門をしても、一度では、判断がつかないと思います。特に、風門館の場合。総合格闘技では無く、総合武道をやっていますので、一体、どんな稽古内容なのかをある程度判断するためには、週1回・2時間で、3ヶ月間。即ち、12回くらいの稽古参加が必要だろうと思い、このコースを設けています。

 

このトライアル期間中は、お試し期間ですから、空手着などの購入の必要はありません。週1回が、難しい場合。合計12回の参加と思ってもらえれば良いです。

 

日本拳法道と福光流、風門館護身体術など、普段通りのメニューを一緒に体験してもらい、正式に入会するかどうか判断してもらいます。

 

1レッスン・700円は、トライアルコースの人も平等に必要です。

 

12回の稽古参加の間に、自分に合うかどうか判断してもらうための期間ですから、合わないと思ったら、特に辞めるとの申請など必要ありません。稽古に、来なくなったら、ああ、来ないんだなとこちらで判断しますから。気軽に登録してください。

 

よく、心配されるのが、しつこい勧誘があるのではないかと言うことです。打丈夫です。風門館では、昇級審査を受けて、正式に入門した人以外には、こちらから、連絡するとかは、稽古日程の変更の時以外ありません。

 

トライアルで、辞めてもらっても全く問題ありません。

 

ただし、3ヶ月間・12回を終えるまでには、入会するかどうかを決めてもらいます。

 

12回以上のトライアルはありません。最終的に、12回で決めてもらいます。

 

現在、トライアル登録者は6名います。みなさん、自分のペースでトライアル中です。

 

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